しるし(印/標/証)

御朱印、御城印、鉄印、駅スタンプなど

MENU

安里八幡宮|沖縄県

安里八幡宮
あさとはちまんぐう
 

安里八幡宮

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2023年10月7日
初穂料:500円(直書)
授与所:社務所

<御由緒>
安里八幡宮は、第一尚氏第七代尚徳王により、1466年(明成化2年、文正元年)に創建されました。その由来は、琉球の歴史書『球陽』や『琉球神道記』をはじめ各種の史料に記録されています。  尚徳王は、武勇に勝れた英明な王で、先王、尚泰久の遺志をついで鬼界が島遠征のため、二千余の軍勢を率いて安里を通りかかったとき、鳥が鳴き飛び立つのをみて、たちまち弓を取り、乙矢(おとや)は地に立て、甲矢(はや)を弓につがい、天を仰ぎ、「一矢で飛ぶ鳥を射落としたら鬼界が島の平定をかなえさせ給え」と祈願したところ、見事に一矢でこれを射落とすことができました。
また、さらに進んで五十余艘の軍勢で那覇港を出港したところ、海中の波間に梵鐘が浮き沈みしながら漂い、軍船の側を離れなかったという。
尚徳王は、「これは八幡大菩薩の賜りたる霊鐘なり。これがわが手に入れば戦勝まちがいなし。帰国後は八幡宮を崇め奉る。」と誓い、船に載せ戦いに臨んだところ、果たして鬼界が島を平定し凱旋することができました。尚徳王は、この八幡大菩薩のお加護に感謝し、誓願に従い、矢を立てた地に安里八幡宮を建立し、さらに近くに高明山神徳寺を併設して梵鐘を掛けさせたのが安里八幡宮の始まりであります。
以来、安里八幡宮は、霊験あらたかなるお宮として尊崇され、弓矢や甲冑を秘蔵し武運を祈願するお宮として、多くの人々の信仰を集め、また、琉球舞踊「上り口説」にも謡われ親しまれてきました。明治の廃藩置県後も地域の人々に敬われてきましたが、先の沖縄戦で社殿は悉く焼失してしまいました。
戦後27年に及んだ米軍統治下においては、教会敷地となっておりましたが、1963年(昭和38年)に仮殿が復興されました。その後、1972年(昭和47年)の沖縄施政権返還に伴い敷地を回復して、1993年(平成5年)、安里八幡宮復興期成会により、多年の念願であった八幡宮神殿の復元が実現いたしました。

(公式サイトより)

 

 🐾 あしあと 🐾  

琉球八社で最も古い安里八幡宮
琉球八社の中で唯一、応神天皇神功皇后玉依姫命を祀っています。
(他7社は全て熊野権現を祀っています)
今回は、宿泊先のホテルが牧志・安里の中間地点にあり、徒歩10分程で行くことが出来ました。
道中、登坂が続き周囲は住宅地。
入り組んだ道の住宅街にあるので、ナビ・MAPを参考にした方が行きやすい所です。

坂の奥に赤い鳥居が見えてきます。

道先に見える安里八幡宮

階段を上がると境内に到着します。
(付近に駐車場はありません)

安里八幡宮

右側は社務所
奥に高層の建物が見えます。
正面の拝殿兼本殿に参拝します。

本殿内部

社殿を横から撮影しました。

横から撮影した社殿

社殿から入口方面を撮影。
高台に位置しているのが分かります。

社殿から入口方面の風景

参拝する方は他に居ませんでしたが、社務所御朱印を拝受。
こちらは、午前10時から15時まで開設されています。
なお、木曜日と仏滅が休みなので御朱印を求める方は要注意です。

開設時間の案内

社務所は沖縄風の建物で、集会所のように感じました。

社務所

入口の椅子の上に呼び鈴が置かれ、これを軽く鳴らすと奥から女性の方が来られ、御朱印帳に記帳して頂きました。
入口に各種お札・お守りなどが置かれていましたが、一覧のボードを撮影。

お守りなど一覧

5分程待つていると、御朱印帳と由緒書と共に塩黒糖を頂きました。
暑い日だったので、帰り際に口に入れて先に進みました。

御朱印と由緒書、黒糖飴

安里八幡宮は、モノレール牧志駅が近く感じますが、私の場合、往路は県道251号と県道29号の交差点から県道29号を安里駅方面に少し歩いてすぐ左の坂道を上がりました。
この辺りから住宅地になり、道は限られ、ぐるっと回った先に神社があります。
複雑な場所に神社がある印象です。
帰りは往路の道ではなく、県道251号に向かって下り道を歩きましたが、こちらも、ぐるっと回って県道に出て先に進みました。

 

安里八幡宮

Control number:
 G47_安里八幡宮_NUG005_20231007
Create:2023.11.21

/*右クリックを禁止*/