中島惣社
なかじまそうじゃ
大阪Metro主催のぶらりウォークの道中で立ち寄り参拝。
「なかじまそうしゃ」と読まれ、摂津名所図会では稲荷神社と称していたようです。
明治29年に中島惣社
拝殿で参拝。
本殿扁額には合祀を含む神社名が八社記載。
・稲荷神社
・春日神社
・事平神社
・皇太神宮
・神明神社
・須賀神社
・天満宮
・八幡宮
参拝後、手水舎奥の社務所で御朱印を拝受。
境内に飾られていた絵馬。
境内には、石碑の御由緒があります。
境内には、若宮社もあります。
<御祭神>
・足名槌神
・手名槌神
・迦具土神
・大年神
・御歳神
・五十猛神
・市杵島姫神
・楠木正成公
・大屋津比売神
・天宇受売神
若宮社の右・正面入口右側に忠魂碑が建っています。
境内は少し広いですが、忠魂碑は大木に隠れ少し見づらい所にあります。
新馬も見られました。
孝徳天皇の白雉2年(651年)難波長柄豊碕に遷都されたころ創建。
大坂の陣の兵火で社殿は消失。
絵図と建武2年の木額だけが残ったようです。
豊臣秀頼の崇敬厚く、「中嶋総社」の四字を記した絹地一通を寄進。
惣社とは総社の意味で、中島郷48カ村の親宮です。
なかじまそうじゃ
基本情報
- 御祭神
宇賀御魂神、受保大神、大市比賣神 - 創建
伝・白雉2年(651年) - 所在地
大阪府大阪市東淀川区東中島4丁目9-41 - 公式サイト
https://omiyajinja-osaka.sakura.ne.jp/index.html - アクセス
JR新大阪駅下車徒歩約7分
<御由緒・歴史>
祭神宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ほか。
白雉(はくち)2年(651)長柄豊碕(ながらとよさき)宮遷都のとき創建と伝えるが不詳。
ただ建武(けんむ)2年(1335)製の木製額が残されている。
足利氏や豊臣氏が特に崇敬したが、大坂冬の陣で古記録は殆ど焼失した。
神楽殿・絵馬殿など多くの社殿があったが、これらも今次大戦で失われた。
なお境内からは、弥生中期の壷が出土している。
(大阪市公式サイトより)
祭神宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)ほか。
白雉(はくち)2年(651)長柄豊碕(ながらとよさき)宮遷都のとき創建と伝えるが不詳。
ただ建武(けんむ)2年(1335)製の木製額が残されている。
足利氏や豊臣氏が特に崇敬したが、大坂冬の陣で古記録は殆ど焼失した。
神楽殿・絵馬殿など多くの社殿があったが、これらも今次大戦で失われた。
なお境内からは、弥生中期の壷が出土している。
(大阪市公式サイトより)
🐾 あしあと 🐾
大阪Metro主催のぶらりウォークの道中で立ち寄り参拝。
「なかじまそうしゃ」と読まれ、摂津名所図会では稲荷神社と称していたようです。
明治29年に中島惣社
拝殿で参拝。
本殿扁額には合祀を含む神社名が八社記載。
・稲荷神社
・春日神社
・事平神社
・皇太神宮
・神明神社
・須賀神社
・天満宮
・八幡宮
参拝後、手水舎奥の社務所で御朱印を拝受。
境内に飾られていた絵馬。
境内には、石碑の御由緒があります。
境内には、若宮社もあります。
<御祭神>
・足名槌神
・手名槌神
・迦具土神
・大年神
・御歳神
・五十猛神
・市杵島姫神
・楠木正成公
・大屋津比売神
・天宇受売神
若宮社の右・正面入口右側に忠魂碑が建っています。
境内は少し広いですが、忠魂碑は大木に隠れ少し見づらい所にあります。
新馬も見られました。
孝徳天皇の白雉2年(651年)難波長柄豊碕に遷都されたころ創建。
大坂の陣の兵火で社殿は消失。
絵図と建武2年の木額だけが残ったようです。
豊臣秀頼の崇敬厚く、「中嶋総社」の四字を記した絹地一通を寄進。
惣社とは総社の意味で、中島郷48カ村の親宮です。
Control number:
G27_中島惣社_KSG036_20230603
Create:2023.12.10