しるし(印/標/証)

御朱印、御城印、鉄印、駅スタンプなど

MENU

沖宮|沖縄県

沖宮
おきのぐう
 

沖宮

 

 

御朱印

御朱印

参拝日:2023年10月3日
初穂料:1,000円(書置)
授与所:社務所

<御由緒>
沖宮の創建は詳かでないが源為朝公時代と琉球史料書にある。
国家安穏・五穀豊穣・陸海交通安全の神船玉神として歴代琉球王を始め諸民に尊崇された。
明治四十一年那覇港築港の為・字安里に遷座
昭和十年国宝に指定されるも第二次大戦で焼失・戦後・沖宮創始の御祭神、即ち霊木の根は 奥武山天燈山御嶽と神示を受け御神慮により昭和三十六年に通堂町に仮遷座
昭和五十年八月現在地に御遷座
<歴史>
沖宮の創建は、尚金福王の時代である1451年という記録があります。 江戸城築城が1457年、コロンブスアメリカ大陸到達が1492年です。 同じ世紀の出来事と考えると遥かなる歴史に感慨を覚えます。
1713年琉球王府発刊の「琉球王国由来記」によると15世紀中頃に那覇港内で不思議に輝くものを 国王が首里城よりご覧になり、漁夫に命じて探らせると、尋常ならざる古木を得たそうです。 翌夜より水面が輝くことがなかったので、この地に宮社を建て古木をお祀りし、以後、国王始め一般の尊崇をあつめ、 特に中国往来の進貢船や薩摩往来の貢船、離島航路などの航海安全の祈願に尊信されたということです。
琉球舞踊の話になりますが、旅の無事を祈る琉球舞踊「上り口説(ヌブイクドウチ)」の歌詞の一節「沖ヌ側マディ親子兄弟連リティ別ユル…」とある「沖」は、実は沖宮のことです。
琉球の王様をはじめ、江戸方面へ上る多くの人々が、よき旅となるよう沖宮へご参詣された情景に思いを馳せると、歴史とロマンを感じていただけるのではないでしょうか。
沖宮は、創建当時、現在の那覇港にありました。明治41年(1908年)、築港工事の為、琉球八社の一つ安里八幡宮の境内地隣域に遷座されました。
その古式ゆかしい本殿は、昭和13年(1938年)伊東忠太(いとうちゅうた)博士の推挙により国宝に指定されますが、第二次世界大戦により残念ながら焼失してしまいました。
戦後、昭和36年(1961年)に通堂町へ仮遷座し、昭和50年(1975年)に奥武山公園内へ遷座し現在に至ります。

(公式サイト/由緒・歴史より)

 

 🐾 あしあと 🐾  

琉球八社のひとつ沖宮の参拝は、モノレール壷川駅から奥武山公園を通り、園内にある沖縄県護国神社に参拝後に沖宮へ参拝しました。
(帰路は徒歩5分程の奥武山公園駅を利用)
沖宮の看板を元に登坂を上がります。

沖宮の看板

ここを上がらなく直進すると鳥居があるようです。
細い道を上がるとプールサイトが左に見えてきます。

プールサイト

このまま進むと沖宮境内に入ります。
境内は狭く、数段の階段の先には拝殿がありました。

拝殿の扁額

参拝後、左側には末社の八坂神社があります。

八坂神社

八坂神社に参拝し終えると開運ロードの矢印があります。

開運ロード

狭い境内の矢印に進むと鳥居があり、先は階段になっています。

鳥居

階段

上の鳥居

上った先には、沖宮の主祭神天受久女龍宮王御神天照大御神)が降り立ったといわれる天燈山があります。
この高台には梵語が刻まれた古石が鎮座する御嶽(うたき)があります。

御嶽

こちらには、頻繁に参拝に来られる方が居ました。
天燈山からの眺めも良く、壷川から漫湖沿いに走るモノレールも見えたりします。

天燈山からの眺め

参拝後、御朱印を拝受。
狭い境内にある社務所らしい周辺は白いテントが張られ、多数の御朱印が展示されていました。

境内の展示物

境内の展示物

御朱印は、書置きになっており、狭い敷地内の小屋のような建物で受付・拝受。
展示の御朱印の大多数が千円。
今回頂いた御朱印も千円でした。
帰宅後、ネットで調べると「[ 遥拝御朱印 ] 令和5年卯年 遥拝特別御朱印」のようでした。  

沖宮

Control number:
 G47_沖宮_NUG008_20231003
Create:2023.11.20

/*右クリックを禁止*/