しるし(印/標/証)

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御幸森天神宮|大阪府

御幸森天神宮
みゆきのもりてんじんぐう
 

御幸森天神宮
基本情報
御朱印  

御朱印(日の守り)

御朱印(新年限定)

参拝日:2024年1月19日
初穂料:300円・通常版二種
 「夜の守り(青)/日の守り(橙)」(書置)
  500円・新年限定(書置)
授与所:社務所

<由緒>
今から千六百年程前の猪飼野(いかいの)は猪甘津(いかいつ)と呼ばれ難波の入江の港であり猪甘部(猪を飼育していた古代の官職。鷹甘部などと同じ)が住まいしていた所でありました。
日本書紀仁徳天皇十四年の条に「猪甘津に橋をわたす名付けて小橋という」とあります。当宮の前を流れていた百済川(旧平野川)に架けられた文献上に残る日本最古の橋がこれです。
さて、難波に都を定められた仁徳天皇(にんとくてんのう)は鷹狩りの折り、また、当地の東南方(現在の東住吉区あたり)に渡来し住まいする百済の人達の様子をご見聞の為の道すがら度々当地の森にご休憩されその由縁により御幸の森(みゆきのもり)と呼ばれる様になりました。天皇崩御の後、西暦406年、人々はこの森に社を建立し天皇のご神霊を奉祀し御幸の祠とも御幸宮とも称したと伝えられております。
年代は下って西暦850年頃、この地方に疫病が流行し人々が罹病に悩まされていた折り当宮の社僧大蔵院行綱は京都五條天神社に参籠し災厄追放を祈 願し、同社の御祭神、少彦名命(すくなひこなのみこと)のご神霊を当宮に勧請奉斎したところさしもの疫病も治まったといいます。なお、この頃から天皇天神社とも天神宮とも呼ばれるようになりました。
次に玉造清水谷付近に忍坂彦命(おしさかひこのみこと)を奉祀し地主神として崇敬されていた社がありましたが大阪夏の陣の兵火に遭い消失、それを畏憚した大阪城松平忠明は当宮にご神霊を奉遷するように指示し旧平野川中洲の地3000歩と灯明台1基を寄進されました。
昭和43年10月1日境内の椋の木(樹齢およそ300年)5本が大阪市の保存樹に。 平成12年4月28日本殿・幣殿・拝殿・透塀が国の登録有形文化財に指定されました。
平成18年創祀千六百年祭を斎行し記念事業としてご社殿のお屋根替えを致しました。
(公式サイトより)
 🐾 あしあと 🐾  

2020年11月20日(金)に大阪Metro主催のぶらりウォークで参拝していますが、ゆっくり出来ず2024年1月19日に再訪。
この日もぶらりウォークで近くを通るため立ち寄り参拝でした。
JR桃谷駅から徒歩10分。
大阪コリアンタウン(御幸通商店街)に隣接する神社。
境内には、本殿の他に御倖戎神社、稲荷神社、菅原神社があります。

◆御幸戎神社◆
昭和二七(一九五二)年に、戎大神を勧請奉祀し、建立されました。 毎年一月九・十・十一日には、商売繁盛・福徳祈願を願う戎祭が行われます。

◆菅原神社◆
明治一八(一八八五)年に建立されました。 菅原道真を祀っています。 猪飼野小路(現勝山北五丁目)に祀られていた社を合祀したのが始まりとされています。

◆稲荷神社◆
文政一三(一八三〇)年に伏見稲荷神社から勧請して建立されました。 農耕神・穀霊神・生業守護神・医薬の神として、全国各地で祀られています。

本殿に参拝後、社務所御朱印を拝受。
こちらの御朱印は通常版二種類と新年限定版があります。
通常版は、「夜の守り(青)」と「日の守り(橙)」が書置きで準備されています。
さらに、1月下旬まで新年限定の特別朱印(500円)があります。
今回は、通常版(青:夜の守り)と特別朱印(500円)を購入。

御幸森天神宮

御幸森天神宮

Control number:
 G27_御幸森天神宮_KSG025_20240119
 G27_御幸森天神宮(新年限定)_KSG048_20240119
Create:2024.01.22

彌榮神社|大阪府

彌榮神社
やえいじんじゃ
 

彌榮神社
基本情報
御朱印  

御朱印

参拝日:2024年1月19日
初穂料:500円以上の「お心」(直書)
授与所:社務所

<由緒>
彌榮(やえい)神社は、文禄年間(1592年~1595年)に島根県八束郡(旧出雲國意宇郡)の旧國幣大社熊野神社より御分霊を移して御祭りしたと旧記にあり、その当時は牛頭天皇社(ゴウズテンノオシャ)と呼ばれていました。
創立以来、旧木野村の鎮守として崇敬厚く、宮座を設けて祭事を奉仕していたが、明治5年村社に列せられ依り、神職を置き、又、社号もこの時に彌榮神社と改めましたとあります。
この社号を『イヤサカジンジャ・ヤサカジンジャ』等々と稱(とな)えるという古老もあるが、現在では、氏子の九分迄が『ヤエイジンジャ』と稱えているので、ヤエイジンジャと申し上げている。
旧社殿は、文化4年(1807年)卯4月宮座世話人などが、宮修復寄進講うぃ組織して、9年間に亘って積立てを行い、造営費をつくり出したもので、文化13年正月(1816年)に完成したものであった。
(配布資料より)
 🐾 あしあと 🐾  

2020年11月20日(金)に大阪Metro主催のぶらりウォークで参拝していますが、ゆっくり出来ず2024年1月19日に再訪。
この日もぶらりウォークで近くを通るため立ち寄り参拝でした。
JR桃谷駅から東側の集落方面に約10分。
神社は、縁結びのパワースポットのようです。
先客2名が拝殿に参拝中でしたが、その後は参拝客を見掛けず、静かな境内でした。
境内には、ハート型の絵馬などが掲げられていました。
そして、境内にあるピザ窯。
こちらは、隣近所に暮らす全ての人が、共に支え合いながら生きることのできる地域の実現を目指して活動されている「木野村へっついさんプロジェクト実行委員会」という有志の団体が設置されたもの。
ワークショップや団体への貸出で利用されているようです。

手水舎には、アマビエが飾られています。
また、1月21日(日)に行われる「どんど」のお焚き上げ準備が境内に置かれていました。

拝殿に参拝。
参拝後、隣接する社務所・授与所で御朱印を記帳して頂きました。
こちらは、お心・五百円以上と書かれています。

拝殿右側には、白玉・福徳大明神の扁額が掲げられた鳥居が見えました。
鳥居を抜けると右手に、櫛名田比売クシナダヒメ)大神(オオカミ)の社、福徳大明神の社が並び、先に並ぶ鳥居の先には白玉大明神の社が建っていました。
参拝を終え、境内を後にしました。

彌榮神社

Control number:
 G27_彌榮神社_KSG047_20240119
Create:2024.01.20

四天王寺布袋堂|大阪府

四天王寺布袋堂
してんのうじほていどう
 

四天王寺布袋堂
基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2024年1月13日
納経料:300円(直書)
授与所:四天王寺納経所

<紹介>
俗に、乳のおんばさんのお堂と呼ばれ、子どもさんが健康に育つように、お乳がよく出ますようにとの願いをお持ちの女性がよくおまいりされます。入口には「お乳が出ますよう 」 との願いを書いた絵馬が多く吊り下げられています。 布袋さんと乳の出との関係はよく分かりませんが、一説には元来聖徳太子の乳母を祀ったのが始まりで、 布袋の乳の豊かさと乳の出がよくなりますようにとの信仰が結びついたものといわれています。 又、大阪七福神の札所にもなっております。
四天王寺公式サイトより>

 

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四天王寺極楽門の南側、石鳥居からの場合は極楽門の手前右側に『布袋堂』があります。
聖徳太子の乳母の住まいがこの辺りだったという説もあり、「乳布袋尊」が祀られています。

布袋堂
お堂内部でお札・お守りなどが販売されていますが、御朱印四天王寺境内の納経所で他の四天王寺御朱印と同様で記帳して頂けます。

納経所
納経所内は撮影不可。
建物内には、沢山の見本御朱印などが展示しています。
(10種類以上の御朱印

この日は、三つある記帳窓口の一つか開設。
行列待ちしていた私の4人前の中国人男性ひとりが三人分の御朱印帳を購入し、複数種類の記帳を依頼していたようで、大行列なっていました。
御朱印の記帳時間に注意。(15時50分の受付まで)

御朱印時間
「大阪七福神めぐり」は、布袋尊です。
 

四天王寺布袋堂

Control number:
 G27_四天王寺(布袋堂)_KSG042_20240113
Create:2024.01.17

 

大乗坊|大阪府

大乗坊
だいじょうぼう
 

大乗坊
基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2024年1月13日
納経料:300円(直書)
授与所:本堂内(受付)

<紹介>
もとは、四天王寺東北方牛崎(筆ヶ崎)にあり天文・天正年間に織田信長の焼き討ちで現地に逃れ再興された大乗坊は、宝暦年間には信者の寄進による広大な寺域を持ち、以来「長町の毘沙門さん」として信仰されてきました。御前立の立像は肩に鬼の面が彫り込まれており鎌倉中期の作品と推定され、重要文化財の指定を受けています。また、本尊秘仏の「毘沙門天王立像」は、日本の四大毘沙門天王像の一つで、5月と11月の第2日曜日に御開帳されます。
大阪市浪速区・名所・旧跡サイトより>

 

 🐾 あしあと 🐾  

堺筋日本橋エリアからオタロードなどを横切り西側へ向かうと大乗坊が見えてきます。
周辺は、昔の電気街・現在はアニメなどのオタク系が多く集まるエリアなので、休日は大混雑しています。
境内は、すぐ門を入ると本堂が見えてきます。
入口付近に不動明王と共に置かれた手水が見えてきます。

手水
本堂で拝観。

本堂内
すぐ左に御朱印窓口があり、記帳していただきました。

御朱印窓口
この日は、大阪Metro主催・JRふれあいハイキング共催の参加者1,100名が訪れ、別団体のウォーキンググループも訪れていたため、大混雑でした。
 

大乗坊

Control number:
 G27_大乗坊_KSG041_20240113
Create:2024.01.16

法案寺|大阪府

法案寺
ほうあんじ
 
基本情報

 

御朱印

御朱印

御朱印

参拝日:2024年1月13日
納経料:300円(直書)
授与所:寺務所(受付)

<御由緒>
推古天皇の時代(593~628年)志宜野現在の大阪市城東区鴫野に建立されたと伝えられています。その地名から山号を志宜山とし、又仏法弘通の公案をせられたことから寺号を法案寺(ほうあんじ)としたと云われています。生国魂神社の神宮寺であったと云われ、秀吉の築城により現在の生国魂神社の鎮座地に移り徳川幕府から寺領三百石を賜り、以後歴代の大阪城代法案寺に深く帰依しました。しかし、明治維新の時の廃仏毀釈により寺領を失った法案寺住職達栄は明治12年現在地に再建復興しましたが、その後、昭和20年3月の大空襲で再び炎上堂宇は灰燼に帰すと云う非運にあいます。幸い、聖観音歓喜天は焼失をまぬがれ法案寺住職達恵が復興再建し現在に至ります。
<大阪公式観光情報サイトより>

 

 🐾 あしあと 🐾  


道頓堀川近くの大和町通りに見える朱色の門が特徴の法案寺南坊。
今回は、大阪Metro主催ウォーキングイベント(大阪七福神めぐり)で参拝。
数年前も同様なイベントで立寄りましたが、今回は御朱印を拝受。

法案寺
境内は都会の中の寺院で狭い印象で、入ると右手に手水舎があります。

手水舎

手水
この日は、大阪Metro主催でJRふれあいハイキングの参加者1100名以外に別にウォーキング集団(20-30名)と並走したため大混雑。
今回の大阪七福神めぐりの弁財天は、右側の建物が拝殿。

法案寺境内
左奥が御本尊の拝殿。

拝殿
参拝後、拝殿左の寺務所で御朱印を拝受。
本堂と大阪七福神の2種の御朱印を頂きました。
一人の女性が御朱印帳に一人毎に記帳されているので長蛇の列ができていました。
 

法案寺

法案寺

Control number:
 G27R_法案寺大聖歓喜天(聖天))_KSG039_20240113
 G27R_法案寺_KSG040_20240113
Create:2024.01.16

長久寺|大阪府

長久寺
ちょうきゅうじ
 

長久寺
基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2024年1月13日
納経料:300円(直書)
授与所:寺務所(受付)

<御由緒>
当山の縁起は、1579年(天正7年)豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、片桐且元並びに大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。開山は中正院日長聖人である。 1712年(正徳2年)本堂を除き殆どの堂宇が焼失したが、宝暦(1751~64年)、明和(1764~71年) 年間に復興した。
その後盛衰興廃があったが、戦前・戦後の数度にわたる道路拡張・都市計画により、境内の大半が縮小され現在に至っている。現在の本堂は1963年(昭和38年)の完成で、鉄筋コンクリート造りである。
淀君が建立し、400年近く維持されてきた本堂、大門等は奈良西之京・薬師寺に移され、現在は慈恩 院として活用されており、その他、淀屋辰五郎が寄進した客殿は奈良・樫原市の愛和之道本部に、鐘楼は茨木市妙徳寺に、妙見堂は池田市・本養寺に、小門は能勢・安隠寺に移築、現存しているとのことである。これらのことから、当院の最盛期での規模の大きさが伺うことが出来る。 尚、境内の墓地には赤穂浪士の1人である、原惣右衛門の墓がある。
[参考資料] 『日蓮宗 長久寺』 長久寺パンフレット

 

 🐾 あしあと 🐾  

谷町7丁目の交差点すぐに建つ長久寺。
外観がビルのようで、入口玄関先右手に福禄寿が鎮座。
館内は撮影禁止

入口玄関先で御朱印を拝受。
種類は2種類あり、今回は大阪七福神(福禄寿)を頂きました。

2種類の御朱印
こちらは2年前にも来ましたが、入口の玄関先で拝観するだけなので、2-3分で後にすることができます。
正月明けですが、大勢の方が来られるので書置きの御朱印となっていました。
 

長久寺

Control number:
 G27_長久寺_KSG043_20240113
Create:2024.01.16

護王神社|京都府

護王神社
ごおうじんじゃ
 

護王神社
基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2024年1月5日
初穂料:500円(直書)
授与所:社務所(受付・授与所)

<御由緒>
護王神社京都御所の西側、烏丸通に沿いに鎮座する神社で、平安京の建都に貢献された和気清麻呂公(わけのきよまろこう)をお祀りしています。
 確かな創建年は伝えられていませんが、もとは洛西の高雄山神護寺の境内に清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されていました。
 江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇清麻呂公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)には「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられました。
 明治19年(1886)、明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門(はまぐりごもん)前の現在地に社殿を造営し、神護寺境内からご遷座。後に姉君の和気広虫姫も主祭神として合わせ祀りました。
 その後、崇敬者により境内の霊猪像(狛いのしし)が奉納され、「いのしし神社」とも呼ばれ親しまれています。
(公式サイトより)

 🐾 あしあと 🐾  

京都御所から烏丸通り(R367)の向かいに鎮座する護王神社

表門
俗称「いのしし神社」と言われています。

拝殿
こちらの神社は、狛犬ではなく狛イノシシが拝殿前に鎮座しています。

狛イノシシ

<いのしし神社>和気清麻呂が宇佐へ配流された際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説から、1890年(明治23年)から狛犬の代わりに「狛猪」が置かれ、いのしし神社と言われています。

境内にある手水舎「霊猪手水舎」。

霊猪手水舎
こちらの猪の鼻を触れると「足腰がよくなる」などの御利益があるようです。

霊猪手水舎
拝殿奥の中門で参拝。

中門
中門の右側には、足萎難儀回復の碑があり、この前に足腰の回復を祈願される方がお参りしていました。

足萎難儀回復の碑
参拝を終えて、社務所御朱印受付で御朱印を依頼。

御朱印預かり証
特に行列が出来る程の御朱印を待つ人では無かったですが、預かり証を受取り、境内を散策。
境内には、期間限定で白いイノシシが展示していました。

白いイノシシ
5分程で記帳して頂いた御朱印帳を受取り神社を後にしました。
帰宅後、御朱印をじっくり見ると「令和五年」と記載!

年度相違の御朱印
「令和五年甲辰一月五日」
正しくは、令和六年の干支「甲辰(きのえ・たつ)」では?
SNSで誤記入を発信すると、公式サイト様から陳謝の言葉が返信。
参拝の記録としては、過ちがありますが、
「甲辰=令和六年」と読替えとお伝え、
「寛大なお言葉痛み入ります。」と返答を頂きました。

色々ありましたが、京都御苑蛤御門前付近にあった公家の中院家の邸宅跡に遷座1886年)されたため、立派な表門・拝殿・中門・本殿が京都御所から一直線に美しい建築物が並ぶ神社でした。

護王神社

Control number:
 G26_護王神社_NUG026_20240105
Create:2024.0112

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