なみのうえぐう
当宮の創始年は不詳であるが、遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。
その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。波上宮の御鎮座伝説に『往昔、南風原に崎山の里主なる者があって、毎日釣りをしていたが、ある日、彼は海浜で不思議な"ものを言う石"を得た。以後、彼はこの石に祈って豊漁を得ることが出来た。この石は、光を放つ霊石で彼は大層大切にしていた。
このことを知った諸神がこの霊石を奪わんとしたが里主は逃れて波上山《現在の波上宮御鎮座地で花城と(はなぐすく)も呼んだ》に至った時に神託(神のお告げ)があった。即ち、「吾は熊野(くまの)権現也(ごんげんなり)この地に社を建てまつれ、然(しか)らば国家を鎮護すべし」と。そこで里主はこのことを王府に奏上し、王府は社殿を建てて篤く祀った』と云う。
以来、中国・南方・朝鮮・大和などとの交易(琉球王府直轄事業)基地であった那覇港の出船入船は、その都度、波上宮の鎮座する高い崖と神殿を望み、出船は神に航路の平安を祈り、入船は航海無事の感謝を捧げたという。また人々は常に豊漁、豊穣を祈り琉球王府の信仰も深く、王みづから毎年正月には列を整え参拝し、国家の平安と繁栄を祈るなど朝野をあげての崇敬をあつめ、琉球八社(官社)の制が設けられるや当宮をその第一に位(くらい)せしめ、「当国第一の神社」と尊崇された。
明治の御代になるや、同二十三年官幣小社に列格し、沖縄総鎮守としてふさわしい社殿、神域の結構を見るに至ったが、先の大戦で被災した。
戦後は、昭和二十八年に御本殿と社務所が、同三十六年には拝殿が再建された。そして平成五年、平成の御造営により、御本殿以下諸社殿が竣工。翌年五月、諸境内整備が完工した。
(公式サイトより)
沖縄モノレール旭橋から海側へ歩くこと約15分。
道沿いにある琉球八社の一つ・波上宮が見えてきます。
一の鳥居、二の鳥居へは階段を上りますが、駐車場が二の鳥居付近にあり、徒歩の参拝者は左側の階段を上ります。
二の鳥居を進むと拝殿が見えてきます。
二の鳥居の左奥には手水舎がありますが、コロナの関係上?なのか、ブルーシートが掛けていました。
右奥には龍の口から水が出る場所がありました。
参道には、明治天皇の銅像が建てられていました。
建立は、米国施政下の昭和45年。
沖縄本土復帰の2年前です。
参道の奥には拝殿があります。
境内には欧米人や東南アジア系の人、韓国語を話す男性4人グループなど頻繁に参拝客が来ていました。
拝殿前の左右には、シーサーがいました。
また、左側には境内社があります。
左が世持神社、沖縄の産業の神様。
右が天照大神を祀った浮島神社です。
参拝を終え、右手の社務所で御朱印を拝受。(直書き)
御朱印帳(2,000円)を購入。
ここでは、書置きの別バージョンもありましたが、未購入。
兼務社の末吉宮の御朱印も拝受。(書置き/500円)
参拝を終え、隣接する護国寺へ拝観。
(こちらは別途)
波上宮の本殿を見るため、左側の道を歩くと自動車学校が見えてきます。
自動車学校の奥に橋が見えますが、迂回して海側から岩の上に鎮座する本殿を見に行きます。
迂回するので神社から橋の上まで10分程歩きます。
橋を渡り終え、振り返ると海岸の岩上に建つ本殿が見えます。
橋を渡り切ると若狭海浜公園の交差点があります。
こちらを右に曲がり、モノレールの駅へ向かいます。
波上宮の一の鳥居から海側の臨港道路の橋上まで約15分かかります。
さらに、若狭海浜公園付近からモノレールの駅まで15分歩きます。
車での参拝客の方もいますが、臨海道路側から見るには徒歩のみなので、崖の上に建つ本殿を見るには徒歩移動がおすすめです
Control number:
G47_波上宮_NUG001_20231003
Create:2023.11.20