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若狭彦神社|福井県

若狭彦神社
わかさひこじんじゃ
 

若狭彦神社

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2023年9月9日
初穂料:300円(直書)
授与所:若狭姫神社授与所

<御由緒>
若狭彦神社の上社の祭神は「彦火火出見尊」で「若狭彦大神」と称え奉り、下社の祭神は「豊玉姫命」で「若狭姫大神」と称え奉る。
若狭国遠敷郡西郷ノ内、霊河の源、白石の上に、先ず彦神、次いで姫神が降臨されたので、その地に仮に社殿を営み、後、元正天皇霊亀元年(715)9月10日に今の地に遷し奉ったと伝えている。
古来から若狭国の「一の宮」として信仰されているが、殊に、水産業者には、海上安全、海幸大漁の守護神として崇敬されている。
また、奈良東大寺二月堂の「若狭井」の水源と伝えられる鵜の瀬の霊域は、当社の飛地境内地で由緒が深い。
下社は、元正天皇の養老5年(721)2月10日に豊玉姫命を遠敷の里に奉祀した。
古来から若狭国「二の宮」として信仰されている。
延喜式神名帳に「若狭比古神社 二座 名神大」と記載されているように上社と下社とを合せて「若狭彦神社」と尊称している。
天慶3年(940)正月6日に上社に「正一位」、永保元年(1081)に下社に「正一位」の高い神階を給い、明治4年5月に上社下社共に國幣中社に列せられた。
御神徳は広大無辺で、称徳天皇神護景雲4年(770)に鹿毛馬を献ぜられたのを始め、歴朝の御崇敬。
国司、守護、領主、藩主、武士、庶民一般の「守護神」として深く信仰されてきた。
楼門に安置してある随身は、御祭神の降臨の時にお供をされた神々である。
境内は、千年杉をはじめ老樹亭亭と聳え、閑雅幽邃の地で、神威渺渺とした神域である。
若狭彦大明神が、宇多天皇の御子敦実親王に告げられた「四神の御歌」。
  みな人の 直き心ぞ そのままに
   神の神にて  神の神なり
福井県神社庁サイトより)

 

 🐾 あしあと 🐾  

若狭国一宮の若狭彦神社へ参拝。
JR小浜線東小浜駅で自転車を借りて約13分。(2.2km)
県道35号沿いに下社(若狭姫神社)があります。
その少し先に上社(若狭彦神社)があります。
▶若狭彦神社(上社)
本殿・神門・随神門
延喜式に記録されている若狭比古神社二座が当社(上社)に当り、下社と併せて若狭一の宮とされる一国鎮守の大社である。かつて当社に伝世の重要文化財若狭国鎮守神人絵系図」(鎌倉期成立 国所有)には、明神鳥居を前方に、三間一戸の楼門と、その左右に起る板敷回廊が、三間社流造の本殿を四周する各丹塗の壮麗な社殿景観を画き、今日と比べて、その構造と配置の変遷を偲ばせる。
ほぼ東面する本殿は、文化10年(1813)造営の三間社流造(梁間三間 内前室一間)、桧皮葺、素木造で組物はすべて大斗船肘木、妻飾は二重虹梁、豕扠首式である。
中備の蟇股は紋章の透彫を飾り、庇をうける4本の方柱は手挾付で、母屋繋はない。軒は正面を飛檐打越、背面を二軒繁垂木の化粧とする。昇階は9級である。
この本殿は、大棟を梁間の真中におくため、比較的前方屋根の出が短く、勢い破風の反も緩かであり、また棟を貫く千木、10枝の勝男木、妻の鞭懸などに特色があり、これを下社の本殿と比べれば、その相違は明瞭である。
神門(中門)は、天保元年(1830)の造営。切妻造平入、桧皮葺、素木造の至って閑雅な四脚門である。
随神門は、江戸後期の造営。入母屋造平入、桧皮葺、素木造、桁行三間、梁間二間の清雅な八脚門で、正側面と、中柱で区画する前面一間を、床高の随神座とし、広い中央の通路を挾んで、随神像各4軀が、左右に正対する珍しい形式である。当社の随神は、祭神影向の際、随従の吉祥八人と、神人絵系図は伝える。
なお、随神門と神門の間には、昭和40年の風害で倒壊した方三間入母屋造平入の拝殿礎石が残っている。
<若狭小浜デジタル文化財小浜市教育員会)サイト>

東小浜駅方面から県道35号線を進むと右手に銅造梵鐘が見えてきます。

銅造梵鐘
遠敷の若狭彦神社上社の手前、約200mのところの道端の鐘楼に梵鐘があります。
<梵鐘>
江戸時代初期、音無川の岸にあったもの。
明治の神仏分離の際、神域から運び出し、竜前区が管理し続けている。
 上廻り:160cm
 下廻り:220cm
 高さ:105cm
 直径:外 71cm 内 57cm
 竜頭高さ:20cm
 竜頭幅:20cm
 竜頭から下まで:125cm
 撞坐廻り:225㎝
銘は「若狭国鎮守一宮 暦應亖年辛巳九月廿三日丁酉大願主法眼和和尚位圓海」と刻まれている。
(若狭一の宮(若狭彦神社)に奉納されてあったもの)
・梵鐘には、暦應亖年と刻まれている。
・辛巳は暦應4年。(1341-南北朝時代
 亖年と書いて4年と読ませることもある。
銅造梵鐘がある横の旧道らしき先を進むと集落があり、若狭彦神社前に続いています。
今回は整備をされている県道35号線から向かいます。
しばらく進むと右側に神社が見えてきます。

若狭彦神社
入口には、由緒記の説明板が掲げられています。

由緒記
正面から鳥居を進むと木々に覆われ、静かな境内。
(来社した際、軽自動車が正面に停車しており、1名の男性が参拝。他に3名程の家族連れとすれ違いました。)

境内
境内の左右に立つ巨大な杉の大木。

巨大な杉の大木
その先には、慶應三年(明治元年の前年)に奉献された石燈籠があります。

石燈籠

石燈籠
この先の随神門の前に「禊の神橋」が見えます。

禊の神橋

禊の神橋
随神門を進みます。

随神門
門には、神社についての説明板が掲げられています。

神社についての説明板
門の中には仁王像ではなく、人形が参拝者を見ているようです。

仁王像ではなく人形
前方には、社殿が見えます。

社殿
左手には、手水があります。

手水
神門前で参拝。

参拝
神門左には、
「遠敷の上下宮さま かみのみや」と木札が掲げられていました。

木札
神門右には、
「みな人の 直き心ぞ そのまゝに 神の 神にて 神の 神なり」の木札。

木札
神門越しに本殿を拝観

本殿
神門の鈴は明治38年に寄進されたものです。

神門の鈴
神門の右側には、末社若宮神社が鎮座。

若宮神社

若宮神社
参拝を終えて、下社の若狭姫神社へ向かいます。
 

若狭彦神社

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 G18R_若狭彦神社_ISG039_2023909
Create:2023.12.10

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