角鹿神社
つぬがじんじゃ
気比神宮裏手に角鹿神社、兒宮(このみや)、大神下前神社の末社が並んでいます。(右から順)
つぬがじんじゃ
御朱印
参拝日:2023年9月9日
初穂料:300円(書置)
授与所:氣比神社授与所
<御由緒>
摂社、祭神 都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)、式内社、崇神天皇の御代、任那の皇子の都怒我阿羅斯等氣比の浦に上陸し貢物を奉る。天皇氣比大神宮の司祭と当国の政治を任せられる。その政所(まんどころ)の跡にこの命を祀ったのが当神社で現在の敦賀のもとの地名は「角鹿」でこの御名による。往古東門口が表通であったため氣比神宮本社の門神と云われる。
(氣比神社 公式サイトより)
摂社、祭神 都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)、式内社、崇神天皇の御代、任那の皇子の都怒我阿羅斯等氣比の浦に上陸し貢物を奉る。天皇氣比大神宮の司祭と当国の政治を任せられる。その政所(まんどころ)の跡にこの命を祀ったのが当神社で現在の敦賀のもとの地名は「角鹿」でこの御名による。往古東門口が表通であったため氣比神宮本社の門神と云われる。
(氣比神社 公式サイトより)
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気比神宮裏手に角鹿神社、兒宮(このみや)、大神下前神社の末社が並んでいます。(右から順)
末社の案内板もあります。
敦賀の地名はもとは「角鹿(ツヌガ)」と呼称されており、ここが地名発祥のようです。
拝殿へ。
角鹿神社は、下記の災害時に火災を免れた唯一の社のようです。
・永正3年7月20日の気比宮(諸殿・末社悉)の火災
・織田信長が気比宮諸殿に火を放つた時
・昭和20年7月12日の敦賀空襲の時
◆角鹿神社
摂社、祭神 都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)、式内社、崇神天皇の御代、任那の皇子の都怒我阿羅斯等氣比の浦に上陸し貢物を奉る。天皇氣比大神宮の司祭と当国の政治を任せられる。その政所(まんどころ)の跡にこの命を祀ったのが当神社で現在の敦賀のもとの地名は「角鹿」でこの御名による。往古東門口が表通であったため氣比神宮本社の門神と云われる。
◆兒宮(このみや)
末社、祭神 伊弉冊尊(いざなみのみこと)、平安朝時代、花山天皇寛和2年9月20日遷宮の事が残されており、その以前より御鎮座の事があきらかである。徳川時代から子宝祈願を始め安産の神と称され、更には小児の守神として信仰が篤い。拝殿には、母子大小の狛犬が御護りする。
◆大神下前神社
末社、祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)、式内社、敦賀市内氣比大神四守護神の一つとしてもと天筒山麓に鎮座されていたのを明治年間現在の地に移転、稲荷神社と金刀比羅神社を合祀し、特に海運業者の信仰が篤い。
<気比神宮公式サイトより>
Control number:
G18_角鹿神社_ISG036_20230909
Create:2023.12.09