岡崎神社
おかざきじんじゃ
京都市左京区岡崎に鎮座する岡崎神社に参拝。
参拝の2023年は兎年。
正月4日に参拝に来た時は鳥居前の道路に500m以上行列のできる光景が見えたので参拝を遠慮しましたが、今回はGWの5月5日。
鳥居から境内の行列は殆どなく、5列ほど参拝するために待った感じです。
境内には兎の置物が目立ちますが、野兎の生息地だったことから氏神様の神使とされているようです。
正面には、狛犬が左右にありましたが、境内の所々に兎の置物が点在していました。
参拝した干支が兎。
若い女性や外国人が石兎をバックに撮影されている方が多数いました。
絵馬も種類豊富で兎。
境内前に置かれた多数の兎のおみくじは撮影スポットのようでして。
正月同様、写真を撮る若い人たちが境内に沢山居るため、参拝後に社務所で御朱印を頂くことにしました。
こちらも行列。
5分程待って、書置き御朱印を拝受。
こちらは、別名「東天王」といわれるので岡崎神社と東天王の二種類の御朱印を頂きました。
境内の手水舎には黒御影石でできた子授けうさぎ像が有ります。
月を仰ぎ体に力を満たしたうさぎであり、水を掛けてお腹を擦り祈願すると、子宝に恵まれ安産になると信仰を集めているようです。
他に境内に社がありました。
■宮繁稲荷神社■
■雨社■
おかざきじんじゃ
基本情報
<御由緒>
桓武天皇、延暦十三年(七九四)長岡京よりの平安京遷都に際し王城鎮護の為平安京の四方に建立された社の一つで、陽のいずる都の東(卯の方位)に鎮座する事から東天王と称した。
清和天皇貞観十一年(八六九)勅命により社殿を造営し、播磨国広峰(現在の兵庫県姫路市北方)より祇園牛頭天王(速素盞鳴尊)等を迎え祀り悪疫の治まりを祈願した(諸社根元記)。平家物語では東天王を官幣四十一所の一つに加えている。
治承二年(一一七八)には、高倉天皇の中宮御産の幣帛を賜った。皇室の御崇敬は厚く、各時代において官幣を賜り、特に後醍醐天皇は元応元年(一三一九)に当社を御再建、正一位の御神階と御神宝を賜る。
室町時代享徳元年(一四五二)には征夷大将軍足利義政により修造、幕府とも関係が深い。
(公式サイトより)
桓武天皇、延暦十三年(七九四)長岡京よりの平安京遷都に際し王城鎮護の為平安京の四方に建立された社の一つで、陽のいずる都の東(卯の方位)に鎮座する事から東天王と称した。
清和天皇貞観十一年(八六九)勅命により社殿を造営し、播磨国広峰(現在の兵庫県姫路市北方)より祇園牛頭天王(速素盞鳴尊)等を迎え祀り悪疫の治まりを祈願した(諸社根元記)。平家物語では東天王を官幣四十一所の一つに加えている。
治承二年(一一七八)には、高倉天皇の中宮御産の幣帛を賜った。皇室の御崇敬は厚く、各時代において官幣を賜り、特に後醍醐天皇は元応元年(一三一九)に当社を御再建、正一位の御神階と御神宝を賜る。
室町時代享徳元年(一四五二)には征夷大将軍足利義政により修造、幕府とも関係が深い。
(公式サイトより)
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京都市左京区岡崎に鎮座する岡崎神社に参拝。
参拝の2023年は兎年。
正月4日に参拝に来た時は鳥居前の道路に500m以上行列のできる光景が見えたので参拝を遠慮しましたが、今回はGWの5月5日。
鳥居から境内の行列は殆どなく、5列ほど参拝するために待った感じです。
境内には兎の置物が目立ちますが、野兎の生息地だったことから氏神様の神使とされているようです。
正面には、狛犬が左右にありましたが、境内の所々に兎の置物が点在していました。
参拝した干支が兎。
若い女性や外国人が石兎をバックに撮影されている方が多数いました。
絵馬も種類豊富で兎。
境内前に置かれた多数の兎のおみくじは撮影スポットのようでして。
正月同様、写真を撮る若い人たちが境内に沢山居るため、参拝後に社務所で御朱印を頂くことにしました。
こちらも行列。
5分程待って、書置き御朱印を拝受。
こちらは、別名「東天王」といわれるので岡崎神社と東天王の二種類の御朱印を頂きました。
境内の手水舎には黒御影石でできた子授けうさぎ像が有ります。
月を仰ぎ体に力を満たしたうさぎであり、水を掛けてお腹を擦り祈願すると、子宝に恵まれ安産になると信仰を集めているようです。
他に境内に社がありました。
■宮繁稲荷神社■
倉稲魂神(うがのみたまの神)
蛭子大神(えびす神)
大国主大神(大黒神)
元、仙洞御所の苑中に祀られていた社。仙院が炎上に帰し、宝永七年(一七一〇)内命を以って当時の所司代松平紀伊ノ守信庸等が議して遷座。商売繁盛の神。
■雨社■
Control number:
G26_岡崎神社(東天王)_KSG034_20230505
G26_岡崎神社_KSG033_20230505
Create:2023.12.19