賀茂御祖神社(下鴨)
かもみおやじんじゃ(しもがも)
京阪電車出町柳駅から徒歩15分。
泉川と瀬見の小川に挟まれた表参道を10分歩くと南口鳥居が見え、参道には、御手洗(みたらし)・手水舎があります。
鳥居を過ぎると左側にさざれ石が見えます。
その先には、相生社があります。
この先には楼門が見えます。
参拝日は5月5日。
丁度、五月歩射神事が行われるため門が閉まっていましたが、横側から入れるようだったので中には大勢の人。
この後15分待ち、神事が開始されるようだったので、中門を進み本殿のある拝殿で参拝。
拝殿近くの御祈祷・御朱印受付所で御朱印を拝受。
11時20分頃に歩射神事が始まり、弓を持った数組の方が舞殿周辺に参集。
本殿近くにも多くの社がありましたが、西側に隣接する場所も三井神社をはじめ多くの社がありました。
さらに西側には十二単衣と王朝の舞の見学(団体限定)できる御車舎や神様の台所・大炊殿(おおいどの)のありますが、こちらは特別拝観(500円/大炊殿)エリアのようでした。
西参道を抜けた下鴨本通(府道32号線)沿いにみたらし団子発祥の地と言われる「加茂みたらし茶屋 本家 亀屋粟義」で休憩。
約30分待ち店内で定番のみたらし(3本付/450円)を食べて下鴨を後にしました。
帰りにお土産用に5本入り(650円)みたらし団子を購入。
お洒落な三角型の包み。
帰宅後、中身を見るとタレたっぷりの団子。
お皿に移し、レンジで温め食べました。
かもみおやじんじゃ(しもがも)
基本情報
<創祀>
創祀の年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇2年(BC658)2月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる。
この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族であったことで知られている。 また、『賀茂神宮賀茂氏系図』には、賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より11代後の大伊乃伎命の孫、大二目命が鴨建角身命社を奉斎していたことが記されている。その社が、今日の賀茂御祖神社の始源の社の一社であろうとされている。
崇神天皇七年(BC90)には、社の瑞垣が造営(『鴨社造営記』)され、垂仁天皇27年(BC28月には、御神宝が奉られている。(『同書』)また、緩靖天皇(BC580)の御世より御生神事が行われた(『旧記』)との伝承があり、欽明天皇5年(544)4月から賀茂祭(葵祭)(『本朝月令』『年中行事抄』)が行われていることからみて、創祀は西暦紀元をはるかに遡るものとみられている。
(公式サイト・下鴨神社についてより)
創祀の年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇2年(BC658)2月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる。
この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族であったことで知られている。 また、『賀茂神宮賀茂氏系図』には、賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より11代後の大伊乃伎命の孫、大二目命が鴨建角身命社を奉斎していたことが記されている。その社が、今日の賀茂御祖神社の始源の社の一社であろうとされている。
崇神天皇七年(BC90)には、社の瑞垣が造営(『鴨社造営記』)され、垂仁天皇27年(BC28月には、御神宝が奉られている。(『同書』)また、緩靖天皇(BC580)の御世より御生神事が行われた(『旧記』)との伝承があり、欽明天皇5年(544)4月から賀茂祭(葵祭)(『本朝月令』『年中行事抄』)が行われていることからみて、創祀は西暦紀元をはるかに遡るものとみられている。
(公式サイト・下鴨神社についてより)
🐾 あしあと 🐾
京阪電車出町柳駅から徒歩15分。
泉川と瀬見の小川に挟まれた表参道を10分歩くと南口鳥居が見え、参道には、御手洗(みたらし)・手水舎があります。
鳥居を過ぎると左側にさざれ石が見えます。
その先には、相生社があります。
この先には楼門が見えます。
参拝日は5月5日。
丁度、五月歩射神事が行われるため門が閉まっていましたが、横側から入れるようだったので中には大勢の人。
この後15分待ち、神事が開始されるようだったので、中門を進み本殿のある拝殿で参拝。
拝殿近くの御祈祷・御朱印受付所で御朱印を拝受。
11時20分頃に歩射神事が始まり、弓を持った数組の方が舞殿周辺に参集。
【歩射神事】
<賀茂祭(葵祭)の安全を願って矢を射る神事>
5月3日には、馬上の流鏑馬。
5月5日は、地上で矢を射る神事。
①射手が弓を鳴らす「蟇目式(ひきめしき)」で四方の邪気を祓う。
②小笠原宗家による鏑矢を楼門の屋根を越えて飛ばす「屋越式(やごししき)」
③大きな的を射る「大的式」
④連続で矢を射る「百々手式」
この四式を「鳴玄蟇目神事(めいげんひきめしんじ)」と呼ばれ、賀茂祭(葵祭)の安全祈願とされています。
神事の後半まで見続け、西参道へ。<賀茂祭(葵祭)の安全を願って矢を射る神事>
5月3日には、馬上の流鏑馬。
5月5日は、地上で矢を射る神事。
①射手が弓を鳴らす「蟇目式(ひきめしき)」で四方の邪気を祓う。
②小笠原宗家による鏑矢を楼門の屋根を越えて飛ばす「屋越式(やごししき)」
③大きな的を射る「大的式」
④連続で矢を射る「百々手式」
この四式を「鳴玄蟇目神事(めいげんひきめしんじ)」と呼ばれ、賀茂祭(葵祭)の安全祈願とされています。
本殿近くにも多くの社がありましたが、西側に隣接する場所も三井神社をはじめ多くの社がありました。
さらに西側には十二単衣と王朝の舞の見学(団体限定)できる御車舎や神様の台所・大炊殿(おおいどの)のありますが、こちらは特別拝観(500円/大炊殿)エリアのようでした。
西参道を抜けた下鴨本通(府道32号線)沿いにみたらし団子発祥の地と言われる「加茂みたらし茶屋 本家 亀屋粟義」で休憩。
糺の森のみたらし池に湧き出す水の泡を形取って作られたのがみたらし団子。
人気店のため、店頭に十数名以上の行列。約30分待ち店内で定番のみたらし(3本付/450円)を食べて下鴨を後にしました。
帰りにお土産用に5本入り(650円)みたらし団子を購入。
お洒落な三角型の包み。
帰宅後、中身を見るとタレたっぷりの団子。
お皿に移し、レンジで温め食べました。
<みたらし団子発祥の地・加茂みたらし茶屋>
下鴨神社西側・下鴨本通沿いにある創業1922年の老舗茶屋。
下鴨神社の境内にある糺の森のみたらし池に湧き出す水の泡を形取って作られたのがみたらし団子と言われています。
お店にはみたらし団子以外にも、わらび餅、いそべ巻、雑煮・白玉、氷などが販売。
こちらのみたらし団子。
先端の餅と他4個の餅が少し離れています。
2つの説があるようです。
◆一つ目は、鎌倉時代、後醍醐天皇が行幸の際、御手洗池で水を掬おうとしたところ、1つ大きな泡が出て、続いて4つの泡が出てきた逸話による説。
◆二つ目は、串に刺さった団子を人間の体に模していて、一番上は頭で残りの4個は四肢の説。
黒砂糖をベースにした素朴な味わいの黒蜜がたっぷりかかり、前端の爪楊枝で串を外し、蜜をスプーンでたっぷり掛けながら食べる感じです。
Control number:
G26_賀茂御祖神社(下鴨)_KSG029_20230505
Create:2023.12.19