一宮神社
いちのみやじんじゃ
三宮駅から北野異人館へ向かう途中にある神社。
密集した住宅地の一角に鳥居が建ち、その奥に境内が見えます。
いちのみやじんじゃ
<御由緒>
当社の創建年代は不詳であるが、一説には推定4世紀ともいわれている。
御祭神は田心姫命、天照大御神が素盞嗚尊と剣玉を交換して誓約の際にお生れになった三女神五男神の一柱で、福岡県宗像郡沖の島鎮座の宗像大社より勧請されたといわれ、大国主命の后として、御一緒に日本国土開発と経営に協力された。又神功皇后が三韓からの帰途神験特に著しかったので巡拝された一社で、爾来、生成発展、交通安全、厄除、縁結びの守護神としての御神徳の高い神様で、旧八部郡北野村鎮守として奉斎されている。
生田神社の裔神八社のうちの一宮であり、元禄3年(1690)の書に「市の宮」と記載され、神社を中心として一定の日に市の立つところであったといわれている。
本殿は戦災で焼失したが、昭和30年(1955)再建された。阪神淡路大震災にも無事だった。
当社手水舎の建物は、元大和郡山城主本多忠直公の御門(1710年築)を再移築したものである。
(兵庫県神社庁サイトより)
当社の創建年代は不詳であるが、一説には推定4世紀ともいわれている。
御祭神は田心姫命、天照大御神が素盞嗚尊と剣玉を交換して誓約の際にお生れになった三女神五男神の一柱で、福岡県宗像郡沖の島鎮座の宗像大社より勧請されたといわれ、大国主命の后として、御一緒に日本国土開発と経営に協力された。又神功皇后が三韓からの帰途神験特に著しかったので巡拝された一社で、爾来、生成発展、交通安全、厄除、縁結びの守護神としての御神徳の高い神様で、旧八部郡北野村鎮守として奉斎されている。
生田神社の裔神八社のうちの一宮であり、元禄3年(1690)の書に「市の宮」と記載され、神社を中心として一定の日に市の立つところであったといわれている。
本殿は戦災で焼失したが、昭和30年(1955)再建された。阪神淡路大震災にも無事だった。
当社手水舎の建物は、元大和郡山城主本多忠直公の御門(1710年築)を再移築したものである。
(兵庫県神社庁サイトより)
🐾 あしあと 🐾
三宮駅から北野異人館へ向かう途中にある神社。
密集した住宅地の一角に鳥居が建ち、その奥に境内が見えます。
道沿いに境内入口があります。
境内先の階段の奥に拝殿が見えます。
左側に手水舎。
拝殿へ参拝。
Control number:
G28_一宮神社_NUG010_20231202
Create:2023.12.03