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星田妙見宮|大阪府

星田妙見宮
ほしだみょうけんぐう
 

星田妙見宮

基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2023年3月18日
初穂料:500円(書置)
授与所:社務所

<歴史>
当宮の縁起によりますと平安時代嵯峨天皇弘仁年間(810~824年)に、弘法大師が交野へ来られた折、獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、3ヶ所に分かれて地上に落ちました。現在もこの伝説は当地に残っており、星が地上に落ちた場所として、一つは星田傍示川沿いの高岡山東の星の森、もう一つが、この星田乾にある降星山光林寺境内、そしてもう一つがこの当宮の御神体であると伝わっています。後に弘法大師は当宮の地に赴き、大師自ら「三光清岩正身の妙見」と称され、「北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳」、「神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山」としてお祀りされました。後世には淳和天皇白河天皇後醍醐天皇を始め楠木正成加藤清正以下、農民にいたるまで崇敬を集めたと伝わっております。これらの由緒は平安時代貞観17年(875年)の『妙見山影向石縁起』並びに江戸時代に書かれた当宮の縁起書に記載されています。
平安時代には「神禅寺」と称されており、河内長野の天野山金剛寺の古文書には「嘉承元年(1106)9月23日、星田神禅寺」と見えます。また『東和久田系図』延宝6年(1678)には、「采女迄三代妙見之別当ショクニシテ御供燈明捧ゲ御山守護到由候緒也」と記されており、応永9年(1402)生まれの和田出雲安直・将藍安道・采女安国の三代にわたり、当宮の別当職であったことが分かります。天文4年(1535)神明帳には、小松大明神と記されています。
(公式サイトより)

 

 🐾 あしあと 🐾  

京阪電車主催のハイキングで立寄り参拝。
この日は、京阪電車私市駅から徒歩30分で星田妙見宮に到着。

星田妙見宮入口
正式名は小松神社。
参道に、石標が見受けられました。

小松神社(石標)
参道入口には、七夕伝説、降星伝説の説明板があります。

七夕伝説・降星伝説の説明板
また、隕石落下の説明板もありました。

隕石落下の説明板
境内図があり、拝殿まで長い道のりが分かります。

境内図
手水舎があり、この先拝殿までは階段を登る山道。

手水舎
途中、絵馬堂を進みます。

絵馬堂
10分程階段を上がると拝殿が見えてきます。

目の前に見える社務所

拝殿
拝殿で参拝。
拝殿左側には、三宝荒神社と鎮宅霊符社の社があります。

三宝荒神社と鎮宅霊符社の社
その奥に織女石が見えます。

織女石
参拝を終え、拝殿前の急な階段を下りた場所の社務所御朱印を拝受。

御朱印の案内

御朱印
その後、拝殿右側の参道を進むと左手に青龍社、影向石が見えてきます。

左手に青龍社

影向石
さらに進むと、豊臣稲荷社があります。

豊臣稲荷社
更に少し先に進むと、豊正豊玉龍王社がありました。

豊正豊玉龍王社
この先は山道を下るようですが、今回の予定ルートでは無いので、再び社務所まで戻り、来た道と異なる方向に山道を下りました。
下山した場所には、「妙見東三丁目」のバス停がありました。

バス停
こちらからも急な登り道を進むと拝殿に向かえるようです。
近くには、星田妙見宮の石標と鳥居がひっそり立っていました。

鳥居
その後、ほしだ園地を回り、スタートした私市駅まで約3時間(8km)のハイキングを兼ねた参拝でした。


星田妙見宮

Control number:
 G27_星田妙見宮_KSG022_20230318
Create:2023.12.19

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