守居神社
もりいじんじゃ
2023年3月18日(土曜日)に参拝。
京阪電車土居駅すぐのアーケード商店街を歩いていると右側に境内が見えます。
境内に入る際、後方からは総菜店の方の視線を感じる場所にあります。
参拝時(土曜14時半頃)、地元の参拝客・地元の子供らしき4-5人が御神籤を引いたり、賑やかな境内でした。
元は、土居神社だったようですが、守口・土居の文字を付けた名称に変更になったようです。
大阪シティバス・守口車庫前のバス停近くにアーケードがあり、こちらからも徒歩3-4分です。
商店街から境内に入ると神木が見えてきます。
もりいじんじゃ
基本情報
<歴史>
当社は醍醐天皇延喜十八年九月十九日(九一八年)此の地に鎮座して、素盞嗚尊・賀茂別雷神をお祀りしてあります。 社記に天道神・太歳神・歳殺神、また素盞嗚尊。三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神とも書いてあります。いづれも淀川流域の守護神として此の地に土居を築き社殿を構えてお祀りされたのが創りで、地名を土居の庄と称し、昔は土居神社と称号されておりました。
明治五年八月に守口町大字土居字田東(現在の滝井)産土神社(祭神素盞嗚尊)を、また明治四十年十月十日に守口町字猿島(現在の桃町)大隅神社(祭神賀茂別雷神で昔は渦神社と称していた)が合祀されてより守口の総氏神として守居神社と改称されました。
当社の社記によりますと、後宇多天皇建治年間(一二七五年)釈法仍沙門、当社を以って神佛護法の道場とし、霊感によりて本地垂迹説を称へ三社の神体を奉じて祈祷修法を行い「神威の高貴なること他に異にして、親しく横難中夭の危を救い給う、諸願満足すること幾千万と云う数を知らず」と記されてあり往時より御神威の赫々たる事が伺い知られます。
後小松天皇嘉慶年間(一三八七年)此の地方にも兵乱起り疫病頻りに流行したので人々殺生五辛を禁断し僧不閑沙門当社に祈願して災厄を静め難を遁れたとされています。
次いで後花園天皇寛正四年(一四六三年)再び悪疫流行のあった時、嘉慶の例にならい悪事災難を除く為に美花を作りて祭祀を修し、鎮花の災祭を行ったとあり、現今の夏祭として今に伝えています。
天文十三年(一五四四年)に林海の記した当社の由来記、又寶暦十三年(一七六三年)圓龍の写書等によりますと、天文十三年七月九日前代未聞の大洪水があり大門鳥居流失し社殿失損寳殿流損したので地方に寄進を仰いで辛うじて其の社域を再興した。この時まで王城守護として北東向きであった神殿を南向に、寶殿を改造し営構したが昔日の結構には遥か及ばなかったという記録がみえます。
昭和九年九月二十一日の室戸台風で社域の惨状恐懼の至りと成ったので氏子崇敬者の寄進を仰いで境内地を拡張し現今の社殿に造営営繕が進められ昭和十六年十月総工事竣成し遷座奉祝祭が盛大に執り行われました。
昭和二十三年六月当社奉賛会結成発足、爾来、逐年境内整備・社務所新築・社殿屋根造替・石玉垣・社號標建立・手水舎造替・大石磨鳥居建替・狛犬燈籠奉献等諸施設竣成し、遠近の参詣者は日増しに多く、諸願満足・悪疫防除・災厄解除・開運繁栄・福徳守護の御神徳益々輝いています。
(境内・略記より)
当社は醍醐天皇延喜十八年九月十九日(九一八年)此の地に鎮座して、素盞嗚尊・賀茂別雷神をお祀りしてあります。 社記に天道神・太歳神・歳殺神、また素盞嗚尊。三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神とも書いてあります。いづれも淀川流域の守護神として此の地に土居を築き社殿を構えてお祀りされたのが創りで、地名を土居の庄と称し、昔は土居神社と称号されておりました。
明治五年八月に守口町大字土居字田東(現在の滝井)産土神社(祭神素盞嗚尊)を、また明治四十年十月十日に守口町字猿島(現在の桃町)大隅神社(祭神賀茂別雷神で昔は渦神社と称していた)が合祀されてより守口の総氏神として守居神社と改称されました。
当社の社記によりますと、後宇多天皇建治年間(一二七五年)釈法仍沙門、当社を以って神佛護法の道場とし、霊感によりて本地垂迹説を称へ三社の神体を奉じて祈祷修法を行い「神威の高貴なること他に異にして、親しく横難中夭の危を救い給う、諸願満足すること幾千万と云う数を知らず」と記されてあり往時より御神威の赫々たる事が伺い知られます。
後小松天皇嘉慶年間(一三八七年)此の地方にも兵乱起り疫病頻りに流行したので人々殺生五辛を禁断し僧不閑沙門当社に祈願して災厄を静め難を遁れたとされています。
次いで後花園天皇寛正四年(一四六三年)再び悪疫流行のあった時、嘉慶の例にならい悪事災難を除く為に美花を作りて祭祀を修し、鎮花の災祭を行ったとあり、現今の夏祭として今に伝えています。
天文十三年(一五四四年)に林海の記した当社の由来記、又寶暦十三年(一七六三年)圓龍の写書等によりますと、天文十三年七月九日前代未聞の大洪水があり大門鳥居流失し社殿失損寳殿流損したので地方に寄進を仰いで辛うじて其の社域を再興した。この時まで王城守護として北東向きであった神殿を南向に、寶殿を改造し営構したが昔日の結構には遥か及ばなかったという記録がみえます。
昭和九年九月二十一日の室戸台風で社域の惨状恐懼の至りと成ったので氏子崇敬者の寄進を仰いで境内地を拡張し現今の社殿に造営営繕が進められ昭和十六年十月総工事竣成し遷座奉祝祭が盛大に執り行われました。
昭和二十三年六月当社奉賛会結成発足、爾来、逐年境内整備・社務所新築・社殿屋根造替・石玉垣・社號標建立・手水舎造替・大石磨鳥居建替・狛犬燈籠奉献等諸施設竣成し、遠近の参詣者は日増しに多く、諸願満足・悪疫防除・災厄解除・開運繁栄・福徳守護の御神徳益々輝いています。
(境内・略記より)
🐾 あしあと 🐾
2023年3月18日(土曜日)に参拝。
京阪電車土居駅すぐのアーケード商店街を歩いていると右側に境内が見えます。
境内に入る際、後方からは総菜店の方の視線を感じる場所にあります。
参拝時(土曜14時半頃)、地元の参拝客・地元の子供らしき4-5人が御神籤を引いたり、賑やかな境内でした。
元は、土居神社だったようですが、守口・土居の文字を付けた名称に変更になったようです。
大阪シティバス・守口車庫前のバス停近くにアーケードがあり、こちらからも徒歩3-4分です。
商店街から境内に入ると神木が見えてきます。
また、神社の紹介する看板がありました。
由緒などの看板もあります。
境内先には拝殿があり、その前に石の扁額が置かれていました。
後方から見たら、厚さのある石です。
拝殿で参拝。
左側には神馬の銅像が見え、奥には社務所があり、ここで御朱印を拝受。
直筆記帳をして頂きました。
お守りなども置かれていました。
社務所と拝殿の間を抜けると稲荷神社があります。
横には守居神社の本殿が見えます。
稲荷神社で参拝。
10分位の参拝時間でしたが、休日でもあり、商店街の傍にある境内には、大人や子供の声が聞こえる賑やかな所でした。
帰りも鳥居の後方にある総菜屋さんのおっちゃんの視線が気になりました。
★★
Control number:
G27_守居神社_KSG019_20230318
Create:2023.12.19