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国神神社|福井県

国神神社
くにがみじんじゃ
 

国神神社
基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2022年10月25日
初穂料:300円(直書)
授与所:社務所

<由緒>
國神(くにがみ)神社は、男大迹王(おほどのきみ、後の継体天皇)と倭媛(やまとひめ)の皇子である椀子皇子(まるこのおうじ)を御祭神としてお祀りしています。神社は、椀子皇子武烈天皇8年(506)、磨留古乎加(まるこのおか)〈現在、丸岡城がある丘〉に降誕され、その胞衣(えな)を埋めて神明社としたのが創建と伝え、磨留古乎加は皇子の名前と丸岡の地名の由来となっています。父君男大迹王の意志を継ぎ、湿地帯であった坂中井(さかない)平野の治水開拓を進めたことにより国土開発の守護神として厚く崇められました。
延長5年(927)に制定された延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)には國神神社と記され所謂式内社(しきないしゃ)として人々に崇敬されました。天正4年(1576)、柴田勝豊が磨留古乎加に丸岡城を築くに当たり、神社を現在地に遷座社領等の寄進があり、その後代々の城主の篤い崇敬の下、社殿の造営、修繕が行われました。丸岡藩主の本多家、有馬家からの奉納品が社宝として保存されています。天保12年(1841)作製の御神鏡には丸岡の總社神明宮と記され、丸岡一円から崇敬されていたことが分かります。
江戸時代までは別当寺である真言宗寶積院(ほうしゃくいん)の管理の下、神明社、神明宮とも呼ばれていましたが、明治維新後に古典により國神神社と称しています。明治3年(1870)、継体天皇の母君振媛命(ふりひめのみこと)と応神天皇を祀る高向(たかむく)神社を高椋村(たかぼこそん)高田より境内地に遷座し、明治19年(1886)には本殿に合祀されました。明治7年(1874)に縣社に列し、明治41年(1908)には神饌幣帛料供進神社に指定されました。
昭和23年(1948)の福井大地震により社殿等総てが倒壊焼失しましたが、昭和37年(1962)に現在の社殿が改築竣功しました。境内社霞城(かじょう)神社の有馬晴信公も改築に併せて本殿に合祀されました。更には社殿改築二十周年記念事業により昭和57年(1982)に宝物殿が竣功、昭和61年(1986)には玉垣が整備され、平成4年(1992)、御大典記念事業により社務所兼氏子会館が竣功しました。今でも「おしんめさん」とも呼ばれ、春秋の例祭には「まるおかまつり」、「めめんじゃこまつり」として多くの参拝者で賑わうところです。
(公式サイトより)
 🐾 あしあと 🐾  

京福バス「丸岡バスターミナル」または「丸岡城」バス停から徒歩5分程の場所に鎮座する神社へ参拝。
JR丸岡駅から本数の少ない路線バスで丸岡バスターミナルで下車し、丸岡城へ行く途中にあります。

国神神社
こちらの神社は、日本の第26代天皇・継体(けいたい)天皇の子である椀子皇子(まるこのおうじ)を祀っています。

社前案内
境内に入ると右手に手水舎が見えます。

手水舎
その後、拝殿に向かいますが、工事中のようでした。

拝殿
参拝後、隣接する社務所御朱印を拝受。

社務所
境内には、広々とした駐車スペースが用意されています。

境内

 境内入口付近から丸岡城が見えました。

境内入口付近からの丸岡城

国神神社

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 G18_国神神社_STN041_20221025
Create:2024.02.06

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