松山神社
まつやまじんしゃ
大阪Metro主催のぶらりウォークで立寄り参拝。
阪急電鉄が、沿線の服部天満宮・松山神社・長岡天満宮の三社への合格祈願を「三天神めぐり」として広告している神社のひとつ。
社殿には、「天満宮」の扁額が掲げられていました。
本殿裏に、奥宮・天津磐座(あまついわくら)があり、こちらにも参拝。
また、境内には東淀川戎神社など複数の社がありました。
立派な社務所で御朱印を拝受。
受付付近には、境内に遊びに来る「松山神社のにゃんこ達」の似顔絵が飾られていました。
帰り際には猫もいました。
まつやまじんしゃ
<歴史>
社伝によると、菅原道真が延喜元年(901年)大宰府に配流された時、淀川を下ってこの地に到着。 生い茂る小松に「小松の詩」を吟じられ、直筆の御真像を里人に与えたので、後に神祠を建て、村を小松村と呼び、氏神として崇めたのが始まりという。
・明和(1764年)の頃、境内拡張、社殿修築が行われ、正一位前大納言筆の「天満宮」の扁額を掲げたとあり、江戸時代には小松の天満宮と呼ばれていた。
・明治4年(1871年)に松山神社と改称。
・明治42年(1909年)大隅神社に合祀され廃社となる。
・昭和19年(1944年)地元の復帰運動で旧地に戻り、四條畷神社の旧社殿を移築して祀る。
・昭和52年(1977年)に神門・玉垣・回廊を新築。
(Wikipediaより)
社伝によると、菅原道真が延喜元年(901年)大宰府に配流された時、淀川を下ってこの地に到着。 生い茂る小松に「小松の詩」を吟じられ、直筆の御真像を里人に与えたので、後に神祠を建て、村を小松村と呼び、氏神として崇めたのが始まりという。
・明和(1764年)の頃、境内拡張、社殿修築が行われ、正一位前大納言筆の「天満宮」の扁額を掲げたとあり、江戸時代には小松の天満宮と呼ばれていた。
・明治4年(1871年)に松山神社と改称。
・明治42年(1909年)大隅神社に合祀され廃社となる。
・昭和19年(1944年)地元の復帰運動で旧地に戻り、四條畷神社の旧社殿を移築して祀る。
・昭和52年(1977年)に神門・玉垣・回廊を新築。
(Wikipediaより)
🐾 あしあと 🐾
大阪Metro主催のぶらりウォークで立寄り参拝。
阪急電鉄が、沿線の服部天満宮・松山神社・長岡天満宮の三社への合格祈願を「三天神めぐり」として広告している神社のひとつ。
社殿には、「天満宮」の扁額が掲げられていました。
本殿裏に、奥宮・天津磐座(あまついわくら)があり、こちらにも参拝。
また、境内には東淀川戎神社など複数の社がありました。
立派な社務所で御朱印を拝受。
受付付近には、境内に遊びに来る「松山神社のにゃんこ達」の似顔絵が飾られていました。
帰り際には猫もいました。
Control number:
G27_松山神社_KSG023_20230325
Create:2023.12.19