善光寺
ぜんこうじ
2020年12月18日に雪が積もる日に初めて訪れ、今回で二度目の拝観。
路線バスで長野駅から約7分。
大門バス停から参道の坂道を上り仁王門へ。
仁王門には、定額山(善光寺の山号)の扁額が掲載。
仁王門の仁王像は、通常と逆に配置されています。
(左側に阿形像、右に吽形像)
◆堂内撮影禁止◆
前回来た際は、本堂のみ拝観しましたが、今回は、本堂奥の地下通路に入り、お戒壇巡りをします。
善光寺本堂の真っ暗い地下通路(45m)で、御本尊の真下に懸かる錠前を探ります。(堂内は撮影禁止)
暗いため、混雑時は好まないですが、今回前方に老夫婦が声を掛けながら進んでいました。
少し間隔を空けて、7段の段を下り、お戒壇めぐりをスタート。
入口には、「右手で、腰の高さに壁をなでて・・・」と案内板があります。
暗い階段を進み、右へ右へ回った先に錠前があり、タッチできました。
ガチャガチャ触りましたが、真っ暗なのでその先を右へ回ると明るい地上へ到着。
前の男性は分からなかったようですが、錠前を触れることで極楽浄土行きが約束されるようです。
善光寺へ行かれる際には是非やっておきたい所です。
本堂の拝観を終え、本殿から少し歩き忠霊殿へ。
日本忠霊殿では、戊辰(ぼしん)戦争〜第二次世界大戦で戦死された英霊方を供養していおり、史料館が併設されています。
こちらも館内は撮影禁止です。
境内は広いですが、約1時間滞在し、善光寺を後にしました。
ぜんこうじ
基本情報
<紹介>
信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来【いっこうさんぞんあみだにょらい】(善光寺如来)を御本尊として、創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、また民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ております。当寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られますが、現在その護持運営は大勧進【だいかんじん】を本坊とする天台宗と、大本願【だいほんがん】を本坊とする浄土宗の両宗派によって行われています。御本尊の一光三尊阿弥陀如来とは一つの光背の中に三尊(中央に阿弥陀如来、両脇に観世音菩薩、勢至菩薩)が配置された様式で「善光寺式阿弥陀三尊像」とも呼ばれます。
<歴史>
『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。この仏像は、仏教という新しい宗教を受け入れるか否かを巡る崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。その後、信濃国国司の従者として都に上った本田善光【ほんだよしみつ】が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642)現在の地に遷座されました。皇極天皇三年(644)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。
信州善光寺は、一光三尊阿弥陀如来【いっこうさんぞんあみだにょらい】(善光寺如来)を御本尊として、創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、また民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ております。当寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られますが、現在その護持運営は大勧進【だいかんじん】を本坊とする天台宗と、大本願【だいほんがん】を本坊とする浄土宗の両宗派によって行われています。御本尊の一光三尊阿弥陀如来とは一つの光背の中に三尊(中央に阿弥陀如来、両脇に観世音菩薩、勢至菩薩)が配置された様式で「善光寺式阿弥陀三尊像」とも呼ばれます。
<歴史>
『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。この仏像は、仏教という新しい宗教を受け入れるか否かを巡る崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。その後、信濃国国司の従者として都に上った本田善光【ほんだよしみつ】が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642)現在の地に遷座されました。皇極天皇三年(644)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。
🐾 あしあと 🐾
2020年12月18日に雪が積もる日に初めて訪れ、今回で二度目の拝観。
路線バスで長野駅から約7分。
大門バス停から参道の坂道を上り仁王門へ。
信濃善光寺の仁王門は、1752年(宝暦2年)に創建。
しかし、1847年(弘化4年)の善光寺地震で焼失。
1864年(元治元年)に再建。
しかし、1891年(明治24年)の火災により焼失。
現在の仁王門は、1918年(大正7年)に再建されたもの。
高さ13.6m。間口13m。奥行7m。
仁王門の仁王像は、通常と逆に配置されています。
(左側に阿形像、右に吽形像)
高村光雲と米原雲海による造立。
(ちなみに、東大寺の南大門に安置されている金剛力士像も通常と逆の配置)
仁王像の背後には、三宝荒神と三面大黒天(大黒天・弁財天・毘沙門天が合体した像)があります。
(ちなみに、大黒天発祥の地といわれる比叡山延暦寺の大黒堂の本尊は三面大黒天)
仁王門を進むと左右に宿坊・仲見世通りがあります。
(初回は朝早かったのでまだお店が閉まっていました)
2回目は夕方に行ったため、大勢の人がいました。
この先に山門があります。
山門を進むと先に国宝の本堂が建っています。
本堂手前に御朱印受付所があり、こちらで記帳して頂きました。
今回は通常版。
種類は沢山あるようでした。
本堂内へは無料ですが、今回は本堂の内陣(畳敷きの間)・お戒壇巡り、善光寺史料館を拝観。
この場合は、本堂内陣券(600円)を堂内の自販機で購入します。◆堂内撮影禁止◆
前回来た際は、本堂のみ拝観しましたが、今回は、本堂奥の地下通路に入り、お戒壇巡りをします。
【お戒壇巡り】
善光寺本堂の最奥に位置し、御本尊の真下を通る真っ暗な通路です。一寸先も見えない暗闇の中を進み、途中の「極楽の錠前【じょうまえ】」を探って頂きます。
この錠前は御本尊と結ばれており、触れることで直接ご縁を結べると言われます。
(公式サイトより)
暗いため、混雑時は好まないですが、今回前方に老夫婦が声を掛けながら進んでいました。
少し間隔を空けて、7段の段を下り、お戒壇めぐりをスタート。
入口には、「右手で、腰の高さに壁をなでて・・・」と案内板があります。
暗い階段を進み、右へ右へ回った先に錠前があり、タッチできました。
ガチャガチャ触りましたが、真っ暗なのでその先を右へ回ると明るい地上へ到着。
前の男性は分からなかったようですが、錠前を触れることで極楽浄土行きが約束されるようです。
善光寺へ行かれる際には是非やっておきたい所です。
本堂の拝観を終え、本殿から少し歩き忠霊殿へ。
日本忠霊殿では、戊辰(ぼしん)戦争〜第二次世界大戦で戦死された英霊方を供養していおり、史料館が併設されています。
こちらも館内は撮影禁止です。
境内は広いですが、約1時間滞在し、善光寺を後にしました。