温泉神社
うんぜんじんじゃ
雲仙地獄に隣接する場所に鎮座する温泉神社。
温泉と書きますが、「うんぜん」と呼びます。
参拝した時は、令和3年8月の豪雨の土砂災害が残る状況でした。
うんぜんじんじゃ
基本情報
<由緒>
雲仙においては、大宝元年(701年)(もしくは文武天皇元年(697年))に当地を訪れた行基が大乗院満明寺を開山し、同時に当神社を創祀したと伝えられる。
以後、雲仙岳を霊山として信仰し、当神社からふもとの諸村に温泉神社(四面宮)を勧請、当初は千々石、吾妻、有家、そして伊佐早(現諫早神社)の4か所であったが、その後も広がり現在では島原半島内には温泉神社を称する神社が十数社ある。
貞観2年(860年)に従五位下から従五位上に昇叙された「温泉神」に比定され温泉神社、中古には「四面宮(しめんぐう、しめのみや)」と称していた。弘安4年(1281年)の元寇に際しては元陣に一身四面の勇士が現れ、「吾は肥前国温泉社なり云々」と称したと伝える。
江戸時代に島原藩の祈願所とされ、高力家や松平家等の歴代藩主の崇敬を受けた。
明治2年の神社改正により筑紫国魂神社と改称。
大正4年(1915年)に温泉神社と復称、翌5年県社に昇格した。
(Wikipediaより)
雲仙においては、大宝元年(701年)(もしくは文武天皇元年(697年))に当地を訪れた行基が大乗院満明寺を開山し、同時に当神社を創祀したと伝えられる。
以後、雲仙岳を霊山として信仰し、当神社からふもとの諸村に温泉神社(四面宮)を勧請、当初は千々石、吾妻、有家、そして伊佐早(現諫早神社)の4か所であったが、その後も広がり現在では島原半島内には温泉神社を称する神社が十数社ある。
貞観2年(860年)に従五位下から従五位上に昇叙された「温泉神」に比定され温泉神社、中古には「四面宮(しめんぐう、しめのみや)」と称していた。弘安4年(1281年)の元寇に際しては元陣に一身四面の勇士が現れ、「吾は肥前国温泉社なり云々」と称したと伝える。
江戸時代に島原藩の祈願所とされ、高力家や松平家等の歴代藩主の崇敬を受けた。
明治2年の神社改正により筑紫国魂神社と改称。
大正4年(1915年)に温泉神社と復称、翌5年県社に昇格した。
(Wikipediaより)
🐾 あしあと 🐾
雲仙地獄に隣接する場所に鎮座する温泉神社。
温泉と書きますが、「うんぜん」と呼びます。
参拝した時は、令和3年8月の豪雨の土砂災害が残る状況でした。
雲仙地獄横にある温泉神社は鳥居・狛犬・灯篭・石垣までもが流され、トイレや建物も大量の土石流で壊れたようです。
境内に入ると手水鉢が置かれていました。
島原半島の各地に温泉神社がありますが、雲仙温泉街にあるこちらが総本山になります。
半島に18社の温泉神社があったと言われ、雲仙岳周辺に4ヶ所創建されたことから「温泉四面神」や「温泉四面大明神」と表記され、「おしめんさん」と地元では呼ばれているようです。
拝殿に参拝。
こちらでは、温泉神社、普賢神社、妙見神社の御朱印が頂けます。
温泉神社の御朱印は記帳して頂き、残りは書置きで頂き、日本手拭いを頂きました。
境内には、樹齢200年と言われる夫婦柿があり、奥には、天地之道理傳始社がありました。
周辺は四面庭と書かれたエリアがありますが、あまり分かりませんでした。
四面庭を後にして、後方から本殿を拝見して境内を後にしました。
境内から隣接する雲仙地獄の地獄谷めぐりへ行くこともできます。
ちなみに、道を挟んだ向かえに満明寺があります。
こちらには、金の大仏様を見ることができます。
Control number:
G42_温泉神社_OTG007_20220403
Create:2024.03.01