諫早神社
いさはやじんじゃ
長崎県諫早市に九州総守護の神社として鎮座する神社。
明治元年まで、九州総守護の神々を祀る「四面宮」であった所。
諫早駅から徒歩7~8分。
本明川の飛び石の先が神社入口となっています。
2月3日の節分の日には、巨大なお多福の面が入口に置かれ、参拝客がお面の口かとくぐり抜け境内に入れます。
境内には大楠(神木)が立ち、「諫早神社のクス群」として長崎県天然記念物に指定されています。
境内の右側に庭園があるようですが、整備中で工事が行われていました。
溪内の手水舎で清め、拝殿へ向かいます。
コロナ禍のため、消毒液も置かれていました。
拝殿には、諫早市在住のチェンソーアート・嶋田氏のアマビエ作品が置かれていました。
記帳して頂いた御朱印と共に煎餅も頂きました。
受付のテーブルには、数種類の御菓子が展示されていました。
いさはやじんじゃ
基本情報
<歴史>
縁起書によれば、当宮の創始は 平城京・奈良時代の神亀五年(西暦728年)に、聖武天皇の勅願により 行基菩薩が当地へ赴いて石祠を祀ったのが始まりと伝わる。
もとは九州総守護の神々をお祀りする「四面宮」という神仏習合の神社であった。
古来より諫早の氏神様として、歴代領主の祈願所と定められ 西郷家や龍造寺家・諫早家から篤く信仰されてきた。
明治時代の神仏判然令により、 並祀していた荘厳寺は分離されることとなり本尊などは近くの寺院に移設。その際に、社名を四面宮から「諫早神社」と改称した。
地元の人々からは、「おしめんさん(お四面さん)」の愛称で親しまれ 当地方の中心社寺として崇敬を受けている。
(公式サイトより)
縁起書によれば、当宮の創始は 平城京・奈良時代の神亀五年(西暦728年)に、聖武天皇の勅願により 行基菩薩が当地へ赴いて石祠を祀ったのが始まりと伝わる。
もとは九州総守護の神々をお祀りする「四面宮」という神仏習合の神社であった。
古来より諫早の氏神様として、歴代領主の祈願所と定められ 西郷家や龍造寺家・諫早家から篤く信仰されてきた。
明治時代の神仏判然令により、 並祀していた荘厳寺は分離されることとなり本尊などは近くの寺院に移設。その際に、社名を四面宮から「諫早神社」と改称した。
地元の人々からは、「おしめんさん(お四面さん)」の愛称で親しまれ 当地方の中心社寺として崇敬を受けている。
四面宮とは
四面宮は、『古事記』の国生み神話に由来する 九州(筑紫島)総守護の神々をお祀りする神社である。
諫早神社だけでなく、島原半島を中心に多く建立されている神社で 雲仙にある四面宮が総本宮であった。
諫早領内にも分社として、数多くの四面宮があったが 現在は福田神社、宗方神社、西長田神社、深海神社などの社名に改称されている。
四面宮は「筑紫国魂神社」とも呼ばれ、その名の通り 九州一円の守護神として九州各地の大名や有力者から崇敬を受けていた。
神仏分離令の影響で、今では四面宮の名称は残っておらず 多くの四面宮はいずれも明治時代に「温泉神社」へ名称を変更、 今現在も島原半島には十数社の温泉神社が鎮座している。
『古事記』の一節 ~イザナギ・イザナミの国生み~
【読み下し文】
「次に、筑紫の島を生む、子の島もまた、身一つにして面が四つあり、面ごとに名がある。」
🐾 あしあと 🐾
長崎県諫早市に九州総守護の神社として鎮座する神社。
明治元年まで、九州総守護の神々を祀る「四面宮」であった所。
諫早駅から徒歩7~8分。
本明川の飛び石の先が神社入口となっています。
2月3日の節分の日には、巨大なお多福の面が入口に置かれ、参拝客がお面の口かとくぐり抜け境内に入れます。
境内には大楠(神木)が立ち、「諫早神社のクス群」として長崎県天然記念物に指定されています。
境内の右側に庭園があるようですが、整備中で工事が行われていました。
溪内の手水舎で清め、拝殿へ向かいます。
コロナ禍のため、消毒液も置かれていました。
拝殿には、諫早市在住のチェンソーアート・嶋田氏のアマビエ作品が置かれていました。
拝殿に参拝。
参拝後は、本殿左手の授与所で御朱印を拝受。
綺麗な建物の内部は、多種類の見本御朱印が並び、授与品も豊富でした。
私は、一般的な通常の御朱印をお願いしました。
記帳して頂いた御朱印と共に煎餅も頂きました。
こちらの神社では、御朱印の依頼枚数によって戴けるお菓子が違うようです。
受付のテーブルには、数種類の御菓子が展示されていました。
境内には、大きな絵馬が飾られていました。
Control number:
G42_諫早神社_OTG005_20220402
Create:2024.03.07