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満明寺|長崎県

満明寺
まんみょうじ
 

満明寺
基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2022年4月3日
納経料:300円(直書)
授与所:寺務所


<歴史と由来>
大宝元年(701)2月15日、現在の雲仙の地に文武天皇勅願により「温泉山満明寺」が開山され、同年11月2日、最初の寺院「大日如来院」建立される。 開基は行基菩薩。最盛期は瀬戸石原に三百坊、別所に七百坊を有していたという。
■元亀二年(1571)白雀の乱が勃発し焼失。 仮院にて法灯を継承す。
寛永十四年(1637)島原の乱により、堂字すべてを焼失。
寛永十七年(1640)島原城主となった高力摂津守忠房の命を受け、遠州浜松鴨江寺より招聘された当山中興弘宥和尚が温泉山満明寺一乘院として復興。
■延宝八年(1680)7月27日、二世宥誉法印代には、高力氏にかわって島原城主となった松平主殿頭忠房公によって正式に「温泉山一乘院」として認可。 松平家の家紋である「重ね扇」から扇を一枚取った「一重扇の丸に横一」の寺紋の使用許可と、現在も一乘院で使用されている寺宝「磬子」を授けられ、城主の祈願所となる。
■明治二年(1869年)廃仏毀釈の法難の為、温泉(現、雲仙)より、南串山の歓喜庵に本坊を移転。 これにより温泉山一乘院本坊は、現在の南串山に定まり、雲仙は一乘院釈迦堂として法灯を灯すことになる。
(温泉山一乘院サイトより)
<以下、Wikipediaより>
1898年(明治31年) - 火災で釈迦堂と護摩堂を焼失。
1976年(昭和51年)1月 - 雲仙の一乗院釈迦堂境内が雲仙山大乗院満明寺の寺号を御室派本山の仁和寺より受ける。
1980年(昭和55年) - 雲仙山満明寺が南串山町の温泉山一乗院から正式に独立、法類寺院となる。


 🐾 あしあと 🐾  

雲仙地獄の小高い山に立つ寺院。
雲仙バス停を下車すると目の前にお寺に続く階段が見えてきます。

寺院へ続く階段道

 階段に登る手前には、パネルでお寺の紹介ボードが置かれていました。

紹介ボード

 階段を登ると石仏が並んでいます。

石仏

 本殿が見え、中には純金箔の雲仙大仏(釈迦如来)が鎮座。

雲仙大仏

<純金箔 釈迦如来(雲仙大仏)>
・木造純金箔(24金箔)
・1917年開眼
・高さ5mのお釈迦様
普通の金箔だと温泉成分の硫黄で錆びるので純金箔が5層に貼られています。

境内には、梵鐘・鐘林楼堂(2015年落慶)があり、鐘を撞いてみました。

梵鐘・鐘林楼堂

 境内から本堂裏には、「ミニ四国八十八ケ所巡り」があるようでしたが、梵鐘近くの坂を上がると雲仙地獄が見渡せる広場があり、こちらから雲仙地獄を見学。

広場

広場から見た雲仙地獄
境内を散策し、御朱印を頂く為に寺務所へ。
一見、どこで頂けるのか分かりませんでしたが、境内にある家の玄関口に「朱印所」の貼り紙があったのでこちらで呼鈴を押して訪問。

寺務所(?)
御朱印は2種類あるようですが、御本尊の金ぴか大仏さんが描かれた御朱印を頂きました。

御朱印の案内
最後は、ぼけ封じ観音を見てお寺を後にしました。

ぼけ封じ観音
 

満明寺

Control number:
 G42_雲仙山満明寺_OTG006_20220403
Create:2024.03.06

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