宮崎県護国神社
みやざきけんごこくじんじゃ
宮崎神宮に隣接する宮崎県護国神社。
雨の降る中、参拝。
みやざきけんごこくじんじゃ
基本情報
<御由緒>
全国各道府県の護国神社は、ほとんど明治維新の当時に招魂社として創建され、戦前より慰霊の祭儀が行われていました。
しかし宮崎県は、明治維新の当時、小藩分立の状態であったなどの事情もあり、県内全域の御霊を祀る招魂社は創立されていませんでした。
昭和16年12月、大東亜戦争の勃発により戦没者の数が非常に増加し、護國の英霊に対する県民の感謝と敬仰の念がいよいよ深まり、県民の要望に応えるため、当時の知事をはじめ各界の代表者数十名が設立者となって宮﨑県護国神社建設奉賛会を組織し、昭和18年4月23日内務大臣の許可を得て、宮崎市下北方の高台(現:大宮中学校)に鎮座地を定め建設工事に着手しました。
しかしながら建設途上において昭和20年8月15日の終戦を迎え、日本が連合国の占領下に置かれるとともに、建設を放棄するのを余儀なくされました。
その後、講和条約の発効をみるに至り護国神社再建の要望が起こり、昭和28年4月宮﨑県護国神社再建奉賛会を組織して県民の浄財をつのり、神社の再建に着手、昭和30年3月竣工、同日鎮座祭を斎行し、今日に至ります。
(公式サイトより))
全国各道府県の護国神社は、ほとんど明治維新の当時に招魂社として創建され、戦前より慰霊の祭儀が行われていました。
しかし宮崎県は、明治維新の当時、小藩分立の状態であったなどの事情もあり、県内全域の御霊を祀る招魂社は創立されていませんでした。
昭和16年12月、大東亜戦争の勃発により戦没者の数が非常に増加し、護國の英霊に対する県民の感謝と敬仰の念がいよいよ深まり、県民の要望に応えるため、当時の知事をはじめ各界の代表者数十名が設立者となって宮﨑県護国神社建設奉賛会を組織し、昭和18年4月23日内務大臣の許可を得て、宮崎市下北方の高台(現:大宮中学校)に鎮座地を定め建設工事に着手しました。
しかしながら建設途上において昭和20年8月15日の終戦を迎え、日本が連合国の占領下に置かれるとともに、建設を放棄するのを余儀なくされました。
その後、講和条約の発効をみるに至り護国神社再建の要望が起こり、昭和28年4月宮﨑県護国神社再建奉賛会を組織して県民の浄財をつのり、神社の再建に着手、昭和30年3月竣工、同日鎮座祭を斎行し、今日に至ります。
(公式サイトより))
🐾 あしあと 🐾
宮崎神宮に隣接する宮崎県護国神社。
雨の降る中、参拝。
鳥居の先には、拝殿が見えます。
境内入口には、案内板がありました。
手前には手水舎が左に、社務所は右側です。
複数の絵馬もありました。
付近を見終えて、鳥居先の拝殿へ。
左右には、慰霊碑などが見えます。
参拝を終え、社務所(御朱印受付)で御朱印を拝受。
こちらの御朱印は、手書きと書置きで料金が異なります。
今回は、手書き千円をお願いしました。
窓口付近には、お守りなどもあります。
Control number:
G45_宮崎縣護國神社_ISG027_20230606
Create:2023.11.27