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皇宮神社|宮崎県

皇宮神社
こうぐうじんじゃ
 

皇宮神社

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2023年6月6日
初穂料:300円(直書)
授与所:宮崎神宮御朱印授与所

<御由緒>
皇宮神社(こうぐうじんじゃ)は、宮崎の宮(みやざきのみや)の跡と顕彰(けんしょう)されているところで、宮崎神宮の西北600mの小高い丘に鎮座します。宮崎神宮の元宮(もとみや)に当たります。
御祭神は、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)神武天皇主祭神としています。
相殿神(あいどのがみ)として、神武天皇の后神(きさきがみ)で、御東征(ごとうせい)には同行せずに日南市油津にある吾平津神社(あひらつじんじゃ)(乙姫神(おとひめじんじゃ))に祀まつられている吾平津姫(あひらつひめのみこと)
神武天皇とその吾平津姫命の間に生まれた御子神(みこがみ)手研耳命(たぎしみみのみこと)
神武天皇と五十鈴媛命(いすずよりひめのみこ)ととの間に生まれた神渟名川耳命(たかんぬなかわみみのみこと)、後の綏靖天皇(すいぜいてんのう)を祀っています。
御齢(おんとし)15才を迎え皇太子に即かれた神武天皇は、生まれ育った宮崎県西諸県郡(にしもろかたぐん)高原町(たかはらちょう)狭野神社(さのじんじゃ)(旧宮崎神宮別宮)の地から、宮崎神宮の西北600mの小高い丘の皇宮屋(こぐや)(皇宮神社)に宮居(みやい)され、政治まつりごとをとられました。
当時は未(いまだ)全国統一がなされた時代ではなく、皇威(こうい)が全国に輝くというわけではなかったことから、天下万民(てんかばんみん)が幸せに暮らせるようにとお考えになり、御齢(おんとし)45歳の時に、都を中央に遷(うつ)すべく、宮崎をご出発になります。
その聖蹟(せいせき)の地として御創建されたとされますが創始は不詳です。
旧社殿は弘化(こうか)4年(1847)6月藩費を以て再建され、明治10年3月21日に宮崎神宮の摂社に列っせられました。
神武天皇御即位後2600年の佳節(かせつ)にあたった昭和15年(1940)には、紀元2600年の記念事業の一環として、宮崎県奉祝会により「皇軍発祥之地のち」碑が昭和16年11月20日起工、昭和17年末に竣工されました。
現在の社殿は、昭和48年(1973)の伊勢神宮の第60回神宮式年遷宮の後、古殿舎撤下材(てっかざい)を、昭和51年に改築し、同年の7月24日20時より遷座(せんざ)されたされたものです。
旧社殿跡地は、境内向かって左手20mほどにあります。
(九州の神社サイトより)

 

 🐾 あしあと 🐾  

宮崎神宮の西北600mの小高い丘に鎮座している皇宮神宮。
神武天皇が15歳から45歳で東征するまで暮らしてきた皇居の後と伝えられています。
宮崎神宮・宮崎県護国神社の参拝を終え、徒歩15分。
県道333号線沿いに縦長の空き地があり、その先には皇宮神社に続く階段があります。

参道

階段を上ると右手に「皇軍発祥之地」と記された碑が見えてきます。

皇軍発祥之地

こちらは、神武天皇が45歳の時、皇威を全国に広めるため長兄の五命瀬命と東征の計画を立てた出発地。
1940年に神武天皇のご即位2600年の記念事業として宮崎県奉祝会により建てられました。
起工は1941年(昭和16年)、竣工は1942年(昭和17年)。

この先に皇宮神社が見えてきます。
手前に手水舎があります。

神社前の鳥居

手水舎

手水舎

鳥居の向こうには社殿が見えます。

社殿

入口には、皇宮神社の案内板がありました。

案内板

拝殿で参拝。

拝殿正面

止みかけていた雨が再び降り出し、社殿の左右を撮影し、この場所を後にしました。

社殿(右側から撮影)

社殿(左側から撮影)

周囲は住宅地。
訪問時に近所の子供が皇軍発祥之地の碑のある敷地で自転車遊びをしていたり、近所の方が散歩していたり、神聖な空気を感じる場所ですが、普段の生活をされる方々の場所でもあるようでした。

 

皇宮神社

Control number:
 G45_皇宮神社_ISG026_20230606
Create:2023.11.27

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