豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)
とようけだいじんぐう
伊勢市駅前の参道を5分程歩くと伊勢神宮外宮の入口が見えてきます。
とようけだいじんぐう
基本情報
<御由緒>
豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮儀式帳』や『豊受皇太神御鎮座本紀』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は、「一所のみ坐せば甚苦し」ということと、「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められました。これが「御饌殿の創設」、「日別朝夕大御饌祭の創祀」を始めとする御鎮座の由来です。
天照大御神の御神慮によって豊受大神宮がお鎮まりになったことには、どんな意味があったのでしょうか。皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、みずからお教えくださったものと考えます。この御代は大陸との交通がますます盛んとなり、産業の開発も著しく、国富はいよいよ充実した時代であったことを考えると、その深い神慮のほどがうかがわれます。
豊受大神宮は皇大神宮と共に、かつて「二所大神宮」と称されました。広大なる御神徳と尊い御鎮座の由緒にもとづいて、殿舎、祭儀のほとんどが皇大神宮と同様であり、皇室の御崇敬もまた同様に捧げられています。しかし、両宮は決して同格ではなく、皇大神宮こそが最高至貴のお宮で神宮の中心です。
神宮の祭典は、「外宮先祭」といって、まず外宮で祭儀が行われるならわしがあります。豊受大御神は天照大御神の御饌都神ですので、内宮の祭儀に先だって御饌都神にお食事を奉るのです。祭典の順序にならい、参拝も外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです。
(公式サイトより)
豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮儀式帳』や『豊受皇太神御鎮座本紀』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は、「一所のみ坐せば甚苦し」ということと、「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められました。これが「御饌殿の創設」、「日別朝夕大御饌祭の創祀」を始めとする御鎮座の由来です。
天照大御神の御神慮によって豊受大神宮がお鎮まりになったことには、どんな意味があったのでしょうか。皇大御神は、豊受大御神の御神慮を仰ぐことなしに、食事に代表される生活全般の正しい豊かな営みが不可能であることを、みずからお教えくださったものと考えます。この御代は大陸との交通がますます盛んとなり、産業の開発も著しく、国富はいよいよ充実した時代であったことを考えると、その深い神慮のほどがうかがわれます。
豊受大神宮は皇大神宮と共に、かつて「二所大神宮」と称されました。広大なる御神徳と尊い御鎮座の由緒にもとづいて、殿舎、祭儀のほとんどが皇大神宮と同様であり、皇室の御崇敬もまた同様に捧げられています。しかし、両宮は決して同格ではなく、皇大神宮こそが最高至貴のお宮で神宮の中心です。
神宮の祭典は、「外宮先祭」といって、まず外宮で祭儀が行われるならわしがあります。豊受大御神は天照大御神の御饌都神ですので、内宮の祭儀に先だって御饌都神にお食事を奉るのです。祭典の順序にならい、参拝も外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです。
(公式サイトより)
🐾 あしあと 🐾
伊勢市駅前の参道を5分程歩くと伊勢神宮外宮の入口が見えてきます。
参道の火除橋を渡ると左手に手水舎、さらに奥に「式年遷宮記念せんぐう館(有料)」が見えてきます。
勾玉池が広がり、参拝時は、菖蒲園が開館(無料)していました。
参道に戻り、外宮へ参拝します。
参道をしばらく歩くと古殿地(手前)の奥に正殿が見えてきます。
正殿手前の拝殿に参拝。
参拝後は、神楽殿授与所で御朱印を拝受。
その後は境内の三つの別宮へ向かいます。
最初は、風宮。
御祭神:級長津彦命、級長戸辺命
ご祭神は、風雨を司る級長津彦命、級長戸辺命で、内宮別宮の風日祈宮のご祭神と同じです。雨風は農作物に大きな影響を与えますので、神宮では古より正宮に準じて丁重にお祀りしています。
続いては、向かいにある土宮。
御祭神:大土乃御祖神
ご祭神は、大土乃御祖神。古くから山田原の鎮守の神でしたが、外宮の鎮座以後は宮域の地主神、宮川堤防の守護神とされ、平安時代末期に別宮に昇格しました。
土宮の付近は式年遷宮山口祭、御船代祭の祭場でもあります。
最後には、少し階段を上がった多賀宮へ参拝。