月讀宮(皇大神宮別宮)
つきよみのみや
近鉄五十鈴川駅から徒歩10分。
天照大御神の弟神で外宮の別宮 月夜見宮のご祭神と同じ月読尊を祀る神社へ。
出入口は国道23号線側と県道12号の間に茂る森林内に神社があります。
今回は、国道23号線側から入り、参拝後は県道側へ向かいます。
つきよみのみや
基本情報
御朱印
参拝日:2023年6月1日
初穂料:300円(直書)
授与所:宿衛屋
<御由緒>
月読尊は『古事記』、『日本書紀』よると、伊弉諾尊、伊弉冉尊の二柱の御親神が、天照大御神をお生みになられ、次に月読尊をお生みになられ夜之食国をお治めになるようにご委任になられたと記されています。
内宮の荒祭宮に天照大御神の荒御魂がまつられ、外宮の多賀宮に豊受大御神の荒御魂が祀られているように、月読宮に並んで、月読尊荒御魂が祀られています。荒御魂とは、神様の御魂のおだやかな働きを「和御魂」と申し上げるのに対して、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを「荒御魂」とたたえます。
伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮にお祀りする伊弉諾尊、伊弉冉尊は、日本の国土及び山川草木をお生みになられた後、天照大御神をお生みになり、つづいて月読尊をお生みになられた二柱の御親神です。
月読宮以下四別宮は、『皇太神宮儀式帳』に「月読宮一院、正殿四区」と記され、一囲いの瑞垣内に祀られていました。すなわち四宮あわせて月読宮と呼ばれており、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮に宮号が宣下されたのは、第56代清和天皇の貞観9年(867)8月のことです。 第60代醍醐天皇の延長5年(927)に、古代の法律体系である『延喜太神宮式』が上奏されました。これによりますと、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮が瑞垣をめぐらした一院をなし、月読宮、月読荒御魂宮が一院を形成していました。現在のように、四宮それぞれが瑞垣をめぐらしたお姿になったのは、明治6年からです。
(公式サイトより)
月読尊は『古事記』、『日本書紀』よると、伊弉諾尊、伊弉冉尊の二柱の御親神が、天照大御神をお生みになられ、次に月読尊をお生みになられ夜之食国をお治めになるようにご委任になられたと記されています。
内宮の荒祭宮に天照大御神の荒御魂がまつられ、外宮の多賀宮に豊受大御神の荒御魂が祀られているように、月読宮に並んで、月読尊荒御魂が祀られています。荒御魂とは、神様の御魂のおだやかな働きを「和御魂」と申し上げるのに対して、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを「荒御魂」とたたえます。
伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮にお祀りする伊弉諾尊、伊弉冉尊は、日本の国土及び山川草木をお生みになられた後、天照大御神をお生みになり、つづいて月読尊をお生みになられた二柱の御親神です。
月読宮以下四別宮は、『皇太神宮儀式帳』に「月読宮一院、正殿四区」と記され、一囲いの瑞垣内に祀られていました。すなわち四宮あわせて月読宮と呼ばれており、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮に宮号が宣下されたのは、第56代清和天皇の貞観9年(867)8月のことです。 第60代醍醐天皇の延長5年(927)に、古代の法律体系である『延喜太神宮式』が上奏されました。これによりますと、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮が瑞垣をめぐらした一院をなし、月読宮、月読荒御魂宮が一院を形成していました。現在のように、四宮それぞれが瑞垣をめぐらしたお姿になったのは、明治6年からです。
(公式サイトより)
🐾 あしあと 🐾
近鉄五十鈴川駅から徒歩10分。
天照大御神の弟神で外宮の別宮 月夜見宮のご祭神と同じ月読尊を祀る神社へ。
出入口は国道23号線側と県道12号の間に茂る森林内に神社があります。
今回は、国道23号線側から入り、参拝後は県道側へ向かいます。
参道を進むと葭原神社(あしはらじんじゃ)が右側に見えてきます。
伊勢神宮皇大神宮(内宮)の末社。
内宮の末社16社のうち、第3位。
式内社で『延喜式神名帳』記載の「荻原神社」に比定。
・主祭神
佐佐津比古命
宇加乃御玉御祖命
伊加利比賣命
・創建
延暦23年(804年)以前
・別名
伊賀井の森
葭原神社に参拝後、月讀宮境内に向かいます。
静寂な境内の先に宿衛屋と手水舎が見えてきます。
手水舎で清め、社へ向かいます。
こちらには、四別宮が並んでいます。
右から
月読荒御魂宮②、月読宮①、伊佐奈岐宮③、伊佐奈弥宮④の四別宮が並んで鎮座。
お参りは、①から④の順が一般的です。
順に参拝を終えて、宿衛屋で御朱印を拝受。
こちらでは、2組の参拝者4名に遭遇しましたが、神聖な場所なので、砂利の音だけが境内・参道に聞こえていました。
帰りは、県道側に出ると近鉄五十鈴川駅まで徒歩10分です。