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医王寺|石川県

医王寺
いおうじ
 

医王寺
基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2023年2月3日
納経料:各300円(直書)
授与所:堂内

<概要>
医王寺は石川県加賀市山中温泉薬師町に境内を構えている真言宗の寺院です。医王寺の創建は奈良時代天平年間(729~748年)、行基菩薩がこの地を訪れた際、山中温泉を発見し、温泉の守護の為自ら薬師如来像を彫像し一宇を設けて安置したのが始まりと伝えられています。

平安時代の承平年間(931~938年)に兵乱の兵火により堂宇が焼失し温泉も荒廃しましたが、建久年間(1190~1192年)に鎌倉幕府御家人長谷部信連が地頭としてこの地に赴任してきた際、薬師如来の化身の御告げにより山中温泉を再興し医王寺も再建しました。

医王寺は寺宝も多く、陶製金剛童子立像(後藤才次郎と田村権左右衛門が寄進、陶製(九谷焼)、像高48.5cm、明治33年:1900年に明治天皇命名)が昭和25年(1950)に国指定重要文化財に、文化9年(1812)に製作された山中温泉縁起絵巻が昭和34年(1959)に加賀市指定文化財に、平安時代後期に制作された木造大日如来座像が平成21年(2009)に加賀市指定文化財にそれぞれ指定されています。

医王寺は光泉寺群馬県吾妻郡草津町草津温泉)、有馬温泉寺(兵庫県神戸市)と共に日本温泉三大薬師に数えられています(医王寺では無く道後温泉石手寺愛媛県松山市)か城崎温泉温泉寺(兵庫県豊岡市)とする説もあります)。北陸三十六不動霊場第27番札所。山号:国分山。宗派:高野山真言宗。本尊:薬師如来

 🐾 あしあと 🐾  

JR加賀温泉駅前から路線バスで山中温泉バスターミナルに到着。

山中温泉バスターミナル
ここから総湯までは、徒歩10分ぐらいありますが、このバスはここまで。
周遊バス・特急バスは総湯付近まで行く便がありますが、路線バスの多くは(一部を除き)ここが発着基点になっています。
この時期、総湯までの道路・特に歩道は雪が積もり、歩きやすい道ではありません。

山中温泉バスターミナル
山中温泉に到着後、温泉守護寺に拝観に向かいます。
バスターミナルから細い道を歩き、山側の高台に通じる道を進むと階段が見えてきます。
ここからお寺付近の国道へ上がれますが、積雪で通行不能

通行不能の階段
迂回で次の道へ。

通行不能階段②

寺と隣接の神社に向かう階段も通行不能なので、さらに迂回。
この通行不能の近道の上にある迂回道は、地元民に聞くと通れたので上の国道に繋がる坂を上りました。
坂からは山中温泉街の景色が見えました。

山中温泉街の景色
国道には辿り着きましたが、歩道エリアは雪で消失。
さらに向かいの寺側の歩道も積雪で歩けず、渡っても車道を歩く危険な道のりが100m程。
途中、2~3台の車にすれ違い、お寺の横から入る道があったので、横から境内・参道へ。

横から境内・参道へ
拝殿が見え、写真を撮っていると正面の襖を閉める女性が見えたので、近づいて御朱印を依頼。

拝殿
しばらくすると、住職さんらしき男性の方が来られ、堂内で記帳していただきました。

~国分山 医王寺~
KOKUBUNZAN IOUJ temple
石川県加賀市山中温泉薬師町にある高野山真言宗の寺院。 聖武天皇天平年間(729~749年)に僧行基が開基したと伝えられ、山中節の「忘れしゃんすな 山中道を 東ゃ松山 西ゃ薬師」と歌われる寺。
薬師の尊像を安置したと伝えられています。


境内・山の傍に何体かの石仏や地蔵様があり、不動の滝など表門に続く参道の山側には霊場感がありました。

参道の石仏

山の岩肌にある石仏

参道脇にある滝

山門
帰りは、境内の石道から表門をくぐります。
山門をくぐると、何やら音楽が流れてきました。
(センサーで管理されているようです)
山中節だったと後で分かりました。

ここは、山中節で歌われたお寺でした。
残雪がある階段を慎重に下り、背中越しには山中節が流れていました。
冬場のこの時期、拝観者は少なく、到着が15時半を過ぎていたため誰も居ませんでした。
本来、徒歩で拝観するルートとしては、山中温泉総湯付近から朱色の欄干の橋の下から続く階段を上るようです。
帰りは、この道で帰りました。

医王寺への道(背面が山門)
道を下ると寺の石標がありました。

温泉街からお寺への階段
階段を下り、2~3分で山中温泉の総湯に到着します。
 

医王寺

Control number:
 G17_医王寺_ABM004_20230203
Create:2024.02.06

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