たきはらのみや
- 御祭神
天照大御神御魂魂 - 創建
804年以前 - 所在地
三重県度会郡大紀町滝原872 - 公式サイト
https://www.isejingu.or.jp/about/outerbetsugu/ - アクセス
JR滝原駅徒歩20分
参拝日:2023年7月24日
初穂料:300円(直書)
授与所:宿衛屋
瀧原宮、瀧原並宮のご鎮座の由緒は大変古く、『倭姫命世記』によると約2000年前まで遡ります。第11代垂仁天皇の皇女倭姫命がご鎮座の地を求め、御杖代として天照大御神を奉戴してご巡行のとき、宮川下流の磯宮から上流の方にお進みになると、「大河の瀧原の国」という美しい土地があり、この地に二宇の宮殿を造立されたのが起源とされます。
このとき、宮川の急流に困られたご一行を真奈胡神がお出迎えをしてお渡ししたため、倭姫命はその場所に真奈胡神をまつる御瀬社をお定めになりました。これが今の皇大神宮摂社多岐原神社です。瀧原宮の下流約6km、大宮町三瀬川の宮川のほとりに鎮座されています。そこには近年まで熊野街道の「三瀬の渡し」がありました。
瀧原宮は『皇太神宮儀式帳』には「天照大御神遙宮」、『延喜太神宮式』には「大神遙宮」、「伊勢と志摩との境の山中、大神宮西を去る九十里」と記されているなど、その歴史の深さがうかがえます。
(公式サイトより)
伊勢市から離れた度会郡大紀町に鎮座する内宮別宮・瀧原宮。
瀧原宮へは、JR紀勢本線滝原駅から徒歩20分。
最寄りの国道42号線沿いに滝原宮前のバス停がありますが、列車本数より遥かに少ない路線バスの停留所があります。
元伊勢とも伝えられる「遙宮」。
駅前近くから続く旧熊野街道を20分歩きます。
旧熊野街道沿いを歩き、頓登川(トンドガワ)に架かる橋を渡ると右手に瀧原宮の入口の鳥居が見えてきます。
入口には、御由緒(案内板)があります。
また、入口を背にした正面向かいに瀧原宮についての4コマ漫画が分かりやすく描かれていました。
起源がこの4つの絵で少々わかる感じがします。
少し理解したうえで、境内へ向かいます。
鳥居の左側には、見張小屋の警備の人が常駐していました。
大木が並ぶ参道は、空気が美味しく、涼しく感じる所です。
少し参道を歩いていると橋が見えます。
この先の建物は、宿衛屋です。
こちらの左手前には、手水がありました。
宿衛屋手前の右には、御手洗場と書かれた看板。
矢印先は、下り道が続いています。
先へ進むと頓登川(トンドガワ)の河原です。
伊勢神宮内宮の五十鈴川に似た河原で身を清める場のようです。
川の水は少し冷たく、身を清めた後に拝殿へ向かいます。
宿衛屋の前の参道をさらに進むと瀧原宮が見えてきます。
手前は古殿地で、奥側に手前から瀧原竝宮、瀧原宮、若宮神社(瀧原宮所管)と長由介神社・川島神社(瀧原宮所管)が並んでいます。
こちらでは、参拝順が明記されていました。
初めに瀧原宮へ参拝します。
続いて、瀧原竝宮へ参拝。
その後、右側奥に階段が見えます。
この先の若宮神社へ参拝。
最後は、階段を下りた先の長由介神社・川島神社へ参拝。
◆長由介神社(ながゆけじんじゃ)
瀧原宮の東、西面して立つ所管社で、同所管社である川島神社が同座されています。由緒は古いとされていますが、詳細は不明です。
参拝後、宿衛屋で御朱印を拝受。
この日は夏休み期間(7月24日(月))でしたが、こちらへの参拝客は、参道に歩き始めた最初の2名の中年女性と、拝殿にお参り中に遭遇した高齢男性の三名だけでした。
神聖な参道を歩いていると大声で話をする女性二人組は居ましたが、昼前の時間帯は参拝客は少なかったです。
御朱印の記帳をお願いした神職の方から、「朝方は、団体客の方で賑わっていました」と言われていました。
この後、お昼時間なので、近くの道の駅で食事をしました。
多くの方は、道の駅の駐車場に車を止めて参拝に来られるようです。
この日の時間帯に列車を利用された方は私だけでした。
もちろん、バスは朝と夕方のみで、列車も3時間駅に来ないので、ゆっくり参拝&食事ができました。
本来なら、6月1日と2日に分けてすべて揃う予定でしたが、6月2日は滝原駅のある紀勢本線が大雨で運休になり、後日の訪問になった経緯があります。