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最上稲荷山妙教寺|岡山県

最上稲荷山妙教寺
さいじょういなりさん みょうきょうじ
 

最上稲荷山妙教寺
基本情報
御朱印

御朱印

御朱印

参拝日:2022年8月27
納経料:500円(直書)
授与所:祈祷受付

<縁起>
いつの世も人々の想いを支えてきた、合掌の心。
 最上稲荷の歴史は、今から1200余年前にさかのぼります。 天平勝宝4年(752)、報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、龍王山中腹の八畳岩で祈願を行いました。すると白狐に乗った最上位経王大菩薩が八畳岩に降臨。大師はその尊影を刻み祈願を続け、無事天皇は快癒されたといいます。その後延暦4年(785)、桓武天皇ご病気の際にも、大師の祈願により快癒。これを喜ばれた天皇の命により、現在の地に「龍王山神宮寺」が建立されました。
 以来、「龍王山神宮寺」として繁栄を極めたものの、備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇を焼失し、本尊の「最上位経王大菩薩」のお像のみが八畳岩の下に移され難を免れました。このお像をもとに慶長6年(1601)、新たに領主となった花房公が関東より日円聖人を招き、霊跡を復興。寺名も「稲荷山妙教寺」と改めて、今日の興隆の礎を築きました。
 伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷として、1200余年の歴史を紡いできた最上稲荷。祈祷本尊の「最上位経王大菩薩」は五穀豊穣、商売繁盛、開運など多くの福徳をそなえています。また脇神として、水の神さま「八大龍王尊」、開運を招く「三面大黒尊天」が最上尊とともに本殿に祀られ、最上三神と呼ばれています。その教えの基調となる合掌の心(お互いに拝み合い、いつくしみ合う心)は広く信仰を集め、「不思議なご利益をお授けくださる最上さま」として、今なお多くの人々に親しまれています。
(公式サイトより)
 🐾 あしあと 🐾  

今回は、岡山駅西口バス停から期間限定(2022.7.16~9.25の土日祝日)で無料運行される「吉備ロマン無料循環バス」に乗車し、最上稲荷の臨時駐車場から暗い土産屋が並ぶ参道(門前町)を通り、境内へ向かいます。

参道を10分歩くと白い石造りの仁王門が見えてきます。
◆仁王門

仁王門

旧仁王門が昭和25年(1950)の山火事で焼失したため、中興350年記念事業として再建が計画され、 昭和33年(1958)に完成しました。インドの殿堂様式で建造された石造りの仁王門は珍しく、平成21年(2009)に登録有形文化財に指定されました。平成25年(2013)に改修工事が行われ、翌年、落慶法要が営まれました。

仁王門を超えた先の階段を上がると本殿(霊光殿)が見えてきます。
◆本殿

本殿

開山千二百年記念事業として計画され、5か年の歳月を経て昭和54年(1979)に完成しました。代表的な行事の舞台となり、年間約300万人もの参詣者をお迎えする当山の信仰の礎となる殿堂の代表です。

本殿に拝観後、左側の祈祷受付場所で御朱印を拝受。
こちらでは、代表的な御朱印「妙法」と「最上位経王大菩薩」の二種類を記帳して頂きました。
記帳する際に「こちらは神社ではありません」と言われ、神社と勘違いする方がいるようです。

そう言えば、日本三大稲荷の一つですが、伏見稲荷豊川稲荷は神社なので間違える方も居そうです。

この後は、さらに本殿奥へ向かいます。
こちらでは、縁の末社がありました。

縁の末社
左右に縁切撫で石、良縁撫で石があり、お参り方法も書かれていました。

縁切撫で石

縁切撫で石

良縁撫で石

良縁撫で石
さらに奥には旧本殿(霊応殿)がありました。

旧本殿(霊応殿)

寛保元年(1741)年に再建された建物で、新本殿建立の際に曳家工法で当地に移されました。当山最古の木造建築物で、最奥の建物が平成16年(2004)岡山市重要文化財に指定されました。その他の建物は、平成21年(2009)に登録有形文化財に指定されています。
また、報恩大師生誕1300年祭記念改修事業により、2017年2月から屋根の檜皮葺き替え工事を行い 2020年12月に工事が完了しました。

境内は山に隣接しており、境内が広い印象でした。
普段、路線バスが無く、車以外の交通アクセスが不便な場所ですが、期間限定で送迎バスや臨時バスが運行されるようなので車以外で参拝する方は公式サイトで確認して行かれるのがお勧めです。

最上稲荷山妙教寺

最上稲荷山妙教寺

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Create:2024.04.03

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