関善光寺(宗休寺)
せきぜんこうじ(そうきゅうじ)
せきぜんこうじ(そうきゅうじ)
基本情報
<歴史>
関善光寺は正式名称「妙祐山宗休寺」と云う天台宗安楽律法流の寺院である。
甲州の武田信玄公が没し甲府城がおちるに及ぶと、その家臣であった広瀬利広は逃げ延び、その後関村に移り住み(現在の岐阜県関市)、居を下九日町(現在の相生町)に置いたようである。
その後五世に当たる広瀬新太郎利忠は、先祖の遺言に代々の霊を葬るための一寺建立を発願し、延享二年(1745)に日吉ヶ丘の地に小庵を建立した。
(公式サイトより)
長良川鉄道関駅近くにある関善光寺。
安桜山の麓に鎮座する正式名は宗休寺です。
正面の石標や奉納のぼりには関善光寺の文字が目立ます。
境内には本堂、大仏殿、大日堂、行者堂、弘法堂、鐘楼などがありました。
続いて、1753年に建立された大仏殿(旧本堂)へ。
続いて、本堂へ。
こちらは、長野善光寺の約3分の1の大きさでつくられているようです。
本堂を拝観し、堂内で御朱印を拝受。
記帳して頂いている間に日本で唯一と言われる卍型の戒壇巡りへ。
料金は300円。御朱印代と共に支払い、入場の証となるシール(蛍光)を手の平に貼って暗黒の地下へ。
<<堂内・撮影禁止>>
下記の矢印方向に進み、赤印あたりに施錠があります。
卍とは、少し違う感じです。
戒壇巡りを終えると御朱印が記帳されていました。
丁度、人が居なかったため、ゆっくり回れました。
この後は、裏山に向かい龍頭稲荷へ。
長い階段の先は、四国八十八ヵ所ご分身巡り(安桜山中腹に四国八十八ヶ所の御分身の石仏が安置)です。
手前の大梵鐘脇の道から龍頭稲荷へ向かいいます。
関善光寺の拝観を終え、隣接している弁慶庵 惟然記念館へ。
弁慶庵「惟然記念館」(べんけいあん「いねんきねんかん」)は、入館無料です。
松尾芭蕉門下の俳人・広瀬惟然(ひろせいねん)が住んでいた場所のようです。
こちらでは、作品や資料が展示公開されており、座敷へ上がって見学できます。
関善光寺は正式名称「妙祐山宗休寺」と云う天台宗安楽律法流の寺院である。
甲州の武田信玄公が没し甲府城がおちるに及ぶと、その家臣であった広瀬利広は逃げ延び、その後関村に移り住み(現在の岐阜県関市)、居を下九日町(現在の相生町)に置いたようである。
その後五世に当たる広瀬新太郎利忠は、先祖の遺言に代々の霊を葬るための一寺建立を発願し、延享二年(1745)に日吉ヶ丘の地に小庵を建立した。
(公式サイトより)
🐾 あしあと 🐾
長良川鉄道関駅近くにある関善光寺。
安桜山の麓に鎮座する正式名は宗休寺です。
正面の石標や奉納のぼりには関善光寺の文字が目立ます。
境内には本堂、大仏殿、大日堂、行者堂、弘法堂、鐘楼などがありました。
堂内の仏像は、1200年前に鋳造され、ラグビー日本代表・五郎丸歩選手の五郎丸ポーズに似ています。
天井も鮮やかです。
台座は、パイナップルのようですが、1013体の仏像が彫刻されています。続いて、1753年に建立された大仏殿(旧本堂)へ。
大仏殿「摂取殿」
(関市重要文化財)旧本堂
東叡山智堂大和尚を開基として宝暦三年(1753)一品親王の命により大垣市青墓竹本院の古跡を安桜山麓の当所に移し、名主新屋広瀬新太郎利忠が祖父母の供養の為に建立せられました。 御本尊の丈六阿弥陀如来は木像仏として岐阜県最大、約五百年前の作で、脇侍の観音菩薩、勢至菩薩と共に岩手県平泉中尊寺より千葉県泉倉寺を経て当山に安置され、その御腹中の胎内仏「宝冠阿弥陀如来」は行基御作といわれ、「安産、育児の守護仏」として広く信仰されています。
こちらは、長野善光寺の約3分の1の大きさでつくられているようです。
本堂「善光寺如来堂」(関市重要文化財)
安永七年(1778)四月信州善光寺大勧進等順大和尚が当山に出開帳をされたのが御縁で、本山善光寺堂を模して約十ヶ年を費し建立せられ、上野輪王寺門跡公澄親王の御念持仏、一光三尊善光寺如来像を御分身としてお迎えし、七年目毎に秘仏御本尊の厨子の扉を開き大開帳を執行しております。
記帳して頂いている間に日本で唯一と言われる卍型の戒壇巡りへ。
料金は300円。御朱印代と共に支払い、入場の証となるシール(蛍光)を手の平に貼って暗黒の地下へ。
<<堂内・撮影禁止>>
下記の矢印方向に進み、赤印あたりに施錠があります。
卍とは、少し違う感じです。
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入 | 出 |
戒壇巡りを終えると御朱印が記帳されていました。
丁度、人が居なかったため、ゆっくり回れました。
この後は、裏山に向かい龍頭稲荷へ。
長い階段の先は、四国八十八ヵ所ご分身巡り(安桜山中腹に四国八十八ヶ所の御分身の石仏が安置)です。
手前の大梵鐘脇の道から龍頭稲荷へ向かいいます。
関善光寺の拝観を終え、隣接している弁慶庵 惟然記念館へ。
弁慶庵「惟然記念館」(べんけいあん「いねんきねんかん」)は、入館無料です。
松尾芭蕉門下の俳人・広瀬惟然(ひろせいねん)が住んでいた場所のようです。
こちらでは、作品や資料が展示公開されており、座敷へ上がって見学できます。