新宮神社
しんぐうじんじゃ
信楽高原鉄道・信楽駅前を直線に約10分。
正面に新宮神社が見えてきます。
2年前の2020年10月25日に参拝していますが、今回は御朱印を頂きに再訪。
境内に入ると手水舎があります。
参道を進むと正面に舞殿(雅楽・舞楽の奉納場)が見えてきます。
舞殿には、約85年前の信楽焼の陶製扁額(滋賀県立窯業試験場謹製)が展示していました。
こちらは、後で御朱印を記帳して頂いた女性曰く、期間限定で鳥居に掲げる前に置いているとのことでした。
掲載時期は未定のことでしたが、令和5(2023)年4月22日に表参道の鳥居に設置されたようです。(2024/02/09追記)
舞殿の奥に見える拝殿で参拝。
本殿は、1663年(寛文3年)に再建されたようです。
社殿右側には、御神木社(御祭神:木御祖神)が鎮座。
さらに右側に大国社(御祭神:大国主大神)があります。
紫香楽は、「しがらき」と読みます。
しんぐうじんじゃ
基本情報
御朱印
参拝日:2022年7月24日
初穂料:---円(直書)
授与所:授与所
<由来>
当社は霊亀元年(七一五年)九月 第四十四代 元正天皇の御代、奈良時代の創建。以来信楽町大字長野、神山、江田、小川の産土神と遍く尊崇され、社号を新宮大明神と尊称した。曽て近衛関白家を始め、近江の守護佐々貴氏等の信仰篤く、代々当社の境内神領等の寄進があった。 南北朝の戦(一三三六年)の兵火にて焼失し、再建され其後、大風の為、本殿大破し寛文三年(一六六三年)十一月十九日再建。現今の本殿即ちこれ也。
明治九年十月村社に列し、大正二年四月十日神饌幣帛料供進神社に指定せられ、大正十三年郷社に昇格。現在は信楽郷の一の宮として篤く崇敬されている。
御祭神の大山津見神は信楽町大字長野字西出、字川東に山神社として二社鎮座、大正四年五月三十日当社に合祀した。
(公式サイトより)
当社は霊亀元年(七一五年)九月 第四十四代 元正天皇の御代、奈良時代の創建。以来信楽町大字長野、神山、江田、小川の産土神と遍く尊崇され、社号を新宮大明神と尊称した。曽て近衛関白家を始め、近江の守護佐々貴氏等の信仰篤く、代々当社の境内神領等の寄進があった。 南北朝の戦(一三三六年)の兵火にて焼失し、再建され其後、大風の為、本殿大破し寛文三年(一六六三年)十一月十九日再建。現今の本殿即ちこれ也。
明治九年十月村社に列し、大正二年四月十日神饌幣帛料供進神社に指定せられ、大正十三年郷社に昇格。現在は信楽郷の一の宮として篤く崇敬されている。
御祭神の大山津見神は信楽町大字長野字西出、字川東に山神社として二社鎮座、大正四年五月三十日当社に合祀した。
(公式サイトより)
🐾 あしあと 🐾
信楽高原鉄道・信楽駅前を直線に約10分。
正面に新宮神社が見えてきます。
2年前の2020年10月25日に参拝していますが、今回は御朱印を頂きに再訪。
境内に入ると手水舎があります。
参道を進むと正面に舞殿(雅楽・舞楽の奉納場)が見えてきます。
舞殿には、約85年前の信楽焼の陶製扁額(滋賀県立窯業試験場謹製)が展示していました。
こちらは、後で御朱印を記帳して頂いた女性曰く、期間限定で鳥居に掲げる前に置いているとのことでした。
掲載時期は未定のことでしたが、令和5(2023)年4月22日に表参道の鳥居に設置されたようです。(2024/02/09追記)
舞殿の奥に見える拝殿で参拝。
本殿は、1663年(寛文3年)に再建されたようです。
社殿右側には、御神木社(御祭神:木御祖神)が鎮座。
さらに右側に大国社(御祭神:大国主大神)があります。
参拝を終えて、御朱印を拝受。
社務所授与所周辺は撮影禁止でした。
ちなみに、初めて来た際の舞殿には陶器の扁額が置かれていない写真がありました。
紫香楽は、「しがらき」と読みます。
Control number:
G25_新宮神社_OTG040_20220724
Create:2024.02.08