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神柱宮|宮崎県

神柱宮
かんばしらぐう
 

神柱宮

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2023年6月6日
初穂料:500円(書置)
授与所:参集殿授与所

<御由緒>
■日本最大の荘園「島津荘」の成立
当神柱宮の創建は、人皇第68代後一条天皇の御代、萬壽年間(西暦1024~1028年)に太宰府より大監(たいげん)という職にあった平季基(たいらのすえもと)が来都し、無主の荒野であった日向国諸県郡島津一帯を開墾して、宇治関白藤原頼通に寄進されました。
後の鎌倉時代、薩摩・大隅・日向にまたがる日本最大の荘園と称された「島津荘」の成立に起因します。

■島津御荘総鎮守「神柱宮」の創始
季基は領主として島津荘を治めるに当たり、梅北に屋敷を構え、萬壽3年丙寅(皇紀1686年、西暦1026年)正月20日に家門を建てようとして、梅北村大吉山より門柱を切り出し、片柱を500人で牽いても動かず、さらに500人増やして柱を牽こうとした時、その光景を見ていた季基の6歳になる娘がにわかに神がかり、「我は伊勢の外宮なり、此の地において万民を護ろうと思う。
速やかに社を建てて、その社の名を『神柱』と称すべし云々」という御神託により、季基は伊勢の神宮へ赴き皇大神様の御分霊を奉戴して、同年9月9日、諸県郡中郷村大字梅北字益貫に創建奉祀されたのが「島津御荘總鎮守神柱宮」の始まりです。
当時から島津荘の領主・荘官は固より、荘内の人々に篤い崇敬を寄せられて来ました。これが創始と社名の由来です。

■現社地「旧島津御茶屋敷跡」に遷座
明治4年都城縣設置に伴い、往時の桂久武参事(知事)が当宮を縣総鎮守神社として奉斎するため、現社地(旧 島津御茶屋敷跡)への移転遷座を計画しましたが、その後、都城縣は廃止に至り、宮崎県が計画を引き継ぐ形で、明治6年5月25日に縣社に列格し、同年10月28日に遷座祭が盛大に斎行され、この小松原の地に鎮座いたしました。
現在は、御祭神の広大無辺なる御神徳を仰ぐ崇敬者の心の拠りどころとして、また都城市を初め県内外から初宮詣、七草詣、車祓、厄祓等に訪れる人々の祈願所として昔の思いを今に伝えています。

(公式サイトより)

 

 🐾 あしあと 🐾  

JR都城駅から徒歩15分。
駅に到着すると大雨。

滝のように流れる駅前の道を進み、島津荘総鎮守の神柱宮へ。
正面の鳥居は、駐車場側からですが、徒歩の場合横から見えてきます。

鳥居

参道に神柱宮の案内板がありました。

案内板

境内の手水舎。

手水舎

境内には御手植公孫樹と書かれた木があります。
こちらのイチョウは、大正9年3月27日に昭和天皇が皇太子殿下時代にお手植えになられた公孫樹のようです。

御手植公孫樹

境内には、教育委員会作成の説明板もありました。

説明板

拝殿に参拝。

拝殿

緑字の扁額が上に掲げられています。

扁額

拝殿を振り返ると、先程歩いてきた参道が見え、雨で濡れています。

境内

拝殿の横には、末社の基柱神社があります。
こちらにも参拝。

基柱神社

内部の様子。

基柱神社(内部)

こちらの扁額は横です。

扁額

近くには、基柱神社の説明ボードがありました。

基柱神社の説明ボード

境内には、複数の絵馬が見られました。

絵馬

参拝を終え、境内の参集殿で御朱印を拝受。
こちらは書置きです。
2種類の御朱印があるようですが、通常版を拝受。

2種類の御朱印

日付を記載するため少し待ちましたが、受付女性の方が「大雨で大変ですね」と御朱印と共に声を掛けて頂きました。
大雨が降り続く中、足早で駅へ戻りました。

ちなみに、近くに神柱宮祖霊殿瑞光苑(ずいこうえん)があります。
また、神社横は広い神柱公園があり、松原御茶屋と言われた都城島津家の別荘があった場所のようです。

神柱公園にある巨樹

下には巨樹の説明板がありました。

みやざきの巨樹百選
 

神柱宮

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 G45_神柱宮_ISG021_20230606
Create:2023.11.26

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