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北海道神宮|北海道

北海道神宮
ほっかいどうじんぐう
 

北海道神宮
基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2022年7月16日
初穂料:500円(直書)
授与所:社務所

<由緒>
明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に、「北海道」と名づけられました。
そして同じ年の9月1日に、明治天皇の詔(みことのり)(天皇のおことば)により、東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行(お祭を行う事)して、北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神少彦名神の三柱の神々(開拓三神(かいたくさんじん)といいます)が鎮斎(ちんさい)されました。
その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々…)は東京から函館へ、そして札幌へと移されました。
明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。
現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。
そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて現在に至る日本の礎を築かれた明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称しました。
約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれていますが、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。
(公式サイトより)
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地下鉄円山公園駅から北海道神宮の参道へは徒歩10分。
参道脇には、開拓神社、札幌鉱霊神社、穂多木神社が見えてきます。

開拓神社

開拓神社・由緒記

昭和十三年は北海道開拓七十年にあたり、北海道庁長官・石黒英彦は、記念事業として物故開拓功労者を祭祀するため開拓奉斎殿を建立し、同年八月十五日、開拓功労慰霊祭を執行しました。
続いて全道から奉斎神の申請を求め三十六柱が選考され、同年十二月三日に開拓奉斎殿の社殿を以って開拓神社として鎮座祭がおこなわれました。その後、昭和十五年九月六日に末社に指定され、昭和二十九年九月二十二日には帯広市長・佐藤亀太郎外の請願により、帯広の農聖といわれた依田勉三を合祀して三十七柱の祭神となりました。
昭和四十三年、開拓百年の記念行事として、社殿を大改修、社務所の新設をおこない、昭和五十九年には鳥居、社号標を新設し、鎮座五十年をむかえた昭和六十三年には拝殿を造営し平成二年に社務所を改築しました。
例祭は、明治二年八月十五日に蝦夷地を北海道と改めた事に因み、毎年八月十五日に斎行されています。昭和五十三年からは子ども神輿の渡御をはじめ、平成四年には日本最大級の大神輿が奉納され、二年毎に市内中心街を渡御しています。
開拓神社では祈願札を頒布しており、年に一度奉納して頂いた祈願札を例祭に併せてお焚き上げを行っています。

札幌鉱霊神社

札幌鉱霊神社・由緒記

鉱山殉職者を慰霊する神社です。
昭和十八年、札幌鉱山監督局五十周年記念事業として当時の局長・久保喜八の提唱によって同局の前庭に建立されたのが始まりです。戦後昭和二十四年、北海道神宮の境内に遷座しました。

穂多木神社

穂多木神社・由緒記

昭和十三年、北海道拓殖銀行本店の屋上に同行の守護神として札幌神社の祭神を奉斎する神社です。
併せて、北海道拓殖銀行の物故功労者の御霊を奉斎しました。昭和二十五年北海道神宮境内に遷座しました。

参道を進み、北海道神宮へ。
神門手前には、島義勇(北の大地を切り拓いた開拓者)像が建っています。

島義勇
神門手前の手水舎で清めます。

手水舎
神門付近に由緒記が掲げられています。

由緒記
神門を通り、拝殿へ。
(正面から入れないようで、右手から入場)

神門
神門、拝殿を結ぶ左右の回廊内には、皇室の方の植樹林がありました。

植樹林
拝殿で参拝

拝殿内
参拝後、回廊にある御朱印受付で拝受。
その後は、参道にある神宮茶屋で小休憩。

神宮茶屋
こちらでは、名物の「焼きたて福かしわ」を購入。
(1枚250円)

焼きたて福かしわ
2020年12月16日から販売され、店内で焼き上げたサブレー。
サクサクですが、購入時外で食べる場合はトンビに注意して下さいと言われました。(無事完食)

帰り際、境内の森にはエゾリスの姿が見えましたが、素早く撮影は出来ませんでした。

北海道神宮

Control number:
 G01_北海道神宮_OTG039_20220716
Create:2024.01.18

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