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加藤神社|熊本県

加藤神社
かとうじんじゃ
 

加藤神社
基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2022年4月5日
初穂料:500円(直書)
授与所:社務所

<由緒>
慶応 四 年 熊本藩主細川韻邦公の弟長岡護美公の建議により明治元年
       朝廷より神祭仰出され、浄池廟を神道儀式にて守護する。
明治 四 年 神仏分離の際熊本城内に神宇を創建し錦山神社と公称する。
       同年神祗官を経て大木兼能・韓人金官公の両霊を合祀する。
明治 七 年 明治六年に熊本鎮台が置かれ、城内が悉く陸軍用地に編入
       された為に、京町台に改築遷座奉祀する。
明治 八 年 社格を県社に列せられる。(昭和二十一年社格制度が廃止)
明治 十 年 西南の役に際し、社域は恰も交戦の衝路となり手水鉢以外建
       物悉く焼失する。(ご神体は事前に健軍神社に移し奉護する)
明治 十一年  陸軍中佐乃木希典西南の役戦勝報賽の参拝をされ祭文を
       奏上される。(直筆の祭文は御神宝として所蔵)
明治 十七年 社殿再建に着手し、十九年に竣工正遷宮する。
明治四十二年 清正公三百年祭を斎行し、社号を加藤神社と改称する。
       同年閑院宮殿下の御参拝あり幣帛料を供進される。
       同年陸軍大将乃木希典氏より太刀一振薙刀一本献納される。
明治四十四年 伏見宮殿下の御参拝あり。
       同年米領ハワイ在留民の懇請により加藤神社を創建する。
大正 三 年 朝鮮京城府龍山有志者の懇請により加藤神社を創建する。
昭和 六 年 昭和天皇の勅使として侍従山県公爵が幣帛料を下賜される。
昭和三十七年 永年の熊本城内遷宮の宿願叶い現在地に遷宮する。
昭和四十六年 御創建百年を記念して、御鎮座百年記念大祭を斎行する。
昭和  五十年 夏祭りに神幸行列を復活する。(昭和五十七年より清正公
       まつりに改称し、昭和六十年清正公まつり奉賛会を組織する)
昭和五十一年 青少年の健全育成と教化を目的として子供会を結成する。
昭和五十二年 広大無辺なご神徳の昂揚を目的として崇敬会を結成する。
昭和五十六年 清正公生誕四二〇年。御鎮座一一〇年記念大祭を斎行する。
昭和六十三年 清正公肥後入国四百年記念大祭を斎行する。
平成 三 年 清正公生誕四三〇年。御鎮座一二〇年記念大祭を斎行する。
平成 四 年 城内遷宮三十年記念大祭を斎行する。
平成 十三年 清正公生誕四四〇年。御鎮座一三〇年記念大祭を斎行する。
       (記念事業として、社務所屋根を緑青銅板に茸替える)
(公式サイトより)
 🐾 あしあと 🐾  

熊本城内にある神社。
天守閣から神社へ向かうには迂回しなければならず、最寄りバス停「家庭裁判所前」からは、急な坂(棒庵坂)を登らなければなりません。

棒庵坂に隣接する場にある修繕石

加藤神社
境内に入ると正面に拝殿が見えてきます。
右側には、熊本城が近望できるスポットがあります。

熊本城が近望できるスポット
こちらは過去に2-3回来ていますが、営業時間外だったため参拝のみで今回営業時間内の夕方に参拝できました。
参拝後、御朱印を拝受。

社務所
境内には、清正公が文禄の役の記念として持ち帰られた言われる「太鼓橋」(橋づくりの原型)や「大手水鉢」(清正公の重臣大木邸使用のもの)がありました。

太鼓橋と大手水鉢
また、末社白髭神社)もありました。

白髭神社
猿田彦神 ・・・・ 道開き・道びきの神
菅原道真公 ・・・・ 学問の神
大国主神 ・・・・ 福徳円満の神
恵比寿神 ・・・・ 商売繁盛の神

こちらへは、観光客と共に地元の方がジョギングの途中に参拝している光景が随所に見られました。
再び、棒庵坂に向かいます。

棒庵坂

<棒庵坂>
熊本城内には人名のついた坂が三つあるが、その一つがこの棒庵坂である。この坂の下に下津棒庵の屋敷があったことから命名された。棒庵は宗阿とも言い、もともとは京都の公家の出であるが、加藤清正の家臣となり、禄二千石を与えられていた。棒庵坂は北大手へ入る要衝であったから坂の途中に番所が置かれており、また坂の南側には石の欄干が設けられていた。明治以降は手入れも行届かずに荒廃し、大木鬱蒼として昼なお暗い物さびしい坂であったが、今日ではきれいに手入され、城内への歩行者通路となっている。(説明板より)

加藤神社

Control number:
 G43_加藤神社_OTG012_20220405
Create:2024.03.01

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