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八代宮|熊本県

八代宮
やつしろぐう
 

八代宮
基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2022年4月4日
初穂料:500円(直書)
授与所:社務所

<由緒>

八代宮は、後醍醐天皇の皇子で征西大将軍として九州における南朝方の全盛期を築いた懐良親王(かねながしんのう)を主祭神とし、後村上天皇(ごむらかみてんのう)皇子で征西将軍(せいせいしょうぐん)の職を譲った良成親王(りょうせいしんのう)を併せ祀まつっています。懐良親王薨去された後、八代神社(妙見宮)の中宮(ちゅうぐう)から北方200mの地の懐良親王御墓(みはか)に鎮斎されています。
武家中心の社会から天皇中心の社会に戻した後醍醐天皇による「建武の中興」は、明治維新にも比せられ、南朝の功労者を祀まつる神社の創建運動が各地で起こります。その縁地(ゆかりのち)として、八代の住民からの再度の請願により、建武中興十五社の一社として明治17年(1884)4月に鎮座の儀が行われました。明治19年(1886)11月には良成親王が配祀されました。
社地は、明治3年(1870)に廃城となった八代城で、現在、国指定史跡です。 御陵に近く懐良親王の居城(きょじょう)ともされる由緒ある地です。
南北朝期に、名和氏(なわし)が築いた山城の古麓城(ふもとじょう)がはじめとされ、名和氏の後、相良氏(さがらし)も本拠地として使用しました。天正16年(1588)には小西行長(こにしゆきなが)が古麓城に代わって海岸沿いに麦島城(むぎしまじょう)を築城。元和5年(1619)の地震により麦島城が倒壊したため、城代の加藤正方(かとうまさかた)が当地に城を移し、元和8年(1622)に八代城(松江城)を完成させました。石垣には八代産の石灰岩を用い、麦島城の石垣も再利用したが、その白さから別名「白鷺城(しらさぎじょう)」とも呼ばれました。
一の鳥居は、八代城の旧大手門付近に設置され、徳渕(とくぶち)の津から参道が直進しています。二の鳥居の次に三間一戸、軒唐破風(のきからはふ)の四脚門(よつあしもん)。門に回廊と透き塀べいがつき、神殿を囲んでいます。拝殿は入母屋妻入(いりもやづくりつまいり)向拝付(こうはいつき)。本殿は三間社流造(さんげんしゃながれづくり)。いずれの建物もかつては柿葺でしたが、現在は銅板葺です。官幣社にふさわしい気品ある佇まいを見せています。
(九州の神社サイトより)

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八代城跡内に鎮座する神社。

八代宮
境内には、戦没者を追悼する「霊社」がありました。

霊社
拝殿で参拝。

拝殿
参拝後、社務所御朱印を拝受。

社務所
優しそうな神職さんが「次は何処へ」と、お声掛けを頂きました。
尚、御朱印の料金が値上げされていたようです。
(初穂料500円)

朱印料500円

授与品
御朱印を記帳後、境内裏手から本殿を見学。

本殿
城跡内には、立派な石垣が点在していました。

石垣

城跡風景
なお、御利益は、家内安全 生活全般 武運 勝負事全般です。

八代宮

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 G43_八代宮_OTG011_20220404
Create:2024.03.01

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