いずもだいじんぐう
参拝日:2022年3月3日
初穂料:500円(直書)
(由緒書・オリジナルクリアファイル付)
授与所:授与所
当宮は大国主命とその后神、三穂津姫命御二柱の御神格を併せて主祭神と称え祀り、丹波國に御鎮座なされています。(他に天津彦根命・天夷鳥命を祀るという説もあります)
殊に三穂津姫命は天祖高皇産霊神の娘神で、大国主命国譲りの砌、天祖の命により后神となられました。
天地結びの神、即ち縁結びの由緒は叉ここに発するもので、俗称元出雲の所以であります。
日本建国は国譲りの神事に拠るところですが、丹波国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり、此処に国譲りの所由に依り祀られたのが当宮です。 古来大平和の御神意に拠り、国と国人総ての結びの大神を祀るとして上下の尊崇極めて篤く、崇神天皇再興の後、社伝によれば元明天皇和銅二(709)年に初めて社殿を造営。
現社殿は鎌倉末期の建立にして(旧国宝・現重要文化財)それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し、古来より今尚禁足の地であります。 又御陰山は元々国常立尊のお鎮まりになられる聖地と伝えられています。
(公式サイトより)
京都府亀岡市にある丹波国一宮の神社。
JR亀岡駅から離れており、バスまたは車での参拝となります。
こちらの本殿には、縁結びの神様・大国主命とそのお后で五穀豊穣の神様・三穂津姫命が祀られています。
名称の出雲大社との関係は別法人で、島根県の出雲大社・亀岡市内にある出雲大社京都分院とは異なるようです。
表参道入口の大鳥居を進むと左手に神池が見えてきます。
池の傍には、辯財天社が鎮座しています。
辨財天社〈べんざいてんしゃ〉
◆御祭神 市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)
◆芸能・財運・女性の神
素戔嗚尊が天照大神への忠誠を示す為、誓約(うけい)が行われ、天照大神は素戔嗚尊の剣を砕いて息吹をお掛けになられたところ、三女がお生まれになられました。宗像大社にはこの三女神がお祀りされており、その一人の御分霊をお祀りしています。
手水舎の近くに真名井の水があります。
さらに近くに朱色の鳥居と夫婦岩があります。
こちらでは、御縁を願います。
この先は、拝殿になります。
拝殿は入母屋造、妻入で本殿と同じく檜皮葺を施した舞殿形式の建物であり、明治11(1878)年に官費により造営されました。ここでは4月18日の花鎮祭や、10月21日に斎行される例祭にて、巫女による御神楽「浦安の舞」が奉納されます。
拝殿に参拝し、社務所で御朱印を拝受。
この後、こちらの御神体山(御影山)にある磐座へ向かいます。
こちらは、社務所で受付(初穂料100円)を行い、「出雲大神宮」と印刷された紙製タスキを頂き、山へ向かいます。
この後、鎮守の杜へ向かいます。
この先には、春日社・稲荷社・みかげの滝・古墳・磐座があります。
春日社〈かすがしゃ〉
◆御祭神
建御雷之男神(タケミカヅチノオノカミ)
◆天兒屋命(アメノコヤネノミコト)
大国主命による国造りが完了して、皇孫に国譲りの際、天津神の使者として遣わされたのが建御雷之男神です。
大国主命は御子神の事代主命に尋ねて決定すると伝え、事代主命はこれに賛同なされました。
またもう一人の御子神である建御名方神がいると申し上げた所、その建御名方神は自分の国に来て勝手な事をしているのは誰だ、と建御雷之男神に力競べを挑みます。
これに勝たれたのが建御雷之男神で、全国に多々お祀りされる春日社の御祭神として、また敗北された建御名方神は遠く諏訪の地に逃れられ、そこで皇室をお守りすると誓われました。
また古来より祭祀を司ってきたのは藤原氏で、その祖と仰がれた天兒屋命をお祀りしています。
建御雷之男神と共に春日大社の御祭神で、当宮ではその御分霊を奉斎しております。
これは中世、藤原氏の一族、一条(後の西園寺)家が当宮の領家職であった事に由来します。
稲荷社〈いなりしゃ〉
◆御祭神
宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)
◆五穀豊穣・商売繁盛の神
全国に沢山お祀りされ、お稲荷さんで親しまれている穀物の育成を司る神様です。
母神は黒太夫社御祭神の大山祇神の子、神大市比売で、素戔嗚尊との間に生まれた御子神であります。
御蔭の滝〈みかげのたき〉
「御蔭の滝」は竜神乃神をお祀りする滝としていにしえより地域の源として崇められています。
磐座〈いわくら〉
磐座内は神域、禁足地となります。
この先に、摂社・上の社があります。
上の社〈かみのやしろ〉
◆御祭神 素戔嗚尊(スサノオノミコト)
◆厄難消滅の神
◆櫛稲田姫尊(クシイナダヒメノミコト)
天照大神のお怒りをかい、高天原から追放された素戔嗚尊は出雲国に天降りまして、手名椎、足名椎神の女である櫛稲田姫尊を八俣大蛇の生贄から守り娶られました。
その時に素戔嗚尊が詠まれた「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠めに 八重垣つくる その八重垣を」という和歌は最初の和歌と伝えられています。 また記紀によれば素戔嗚尊の子、また5世あるいは6世が当宮主祭神の大国主命であると記されています。
上の社本殿は向拝を設けるなど出雲大神宮本殿を模倣した流造ですが、その造りは一間社と珍しい構造で、創建は文化10(1813)年と擬宝珠に刻まれています。
社務所で受け付けた「たすき」を掛けて入山します。
案内板があります。
少し急な山道を約20m進みます。
この先を進むと、磐座手前に鳥居が見えてきます。
御蔭山へ到着。
御神体山の神域です。
御蔭山〈みかげやま〉
◆毎月25日 國祖祭
◆御祭神 国常立尊
(クニノトコタチノミコト)
神々様が御降臨遊ばされたのは御神体山である御蔭山で、出雲大神宮の本殿が立てられる以前から公武を問わず、尊崇を集めてきました。古は千年山とも呼ばれた様に、永続の根本、つまり国の最も優れた中心地でありました。 御蔭山は国祖として知られる国常立尊がお鎮りになられ、『富士古文書』には当宮御祭神の三穂津姫命が御奉仕し、お隠れになられた折にはこの御蔭山に葬られたと記されています。
こちらへ来るまでに1名の男性とすれ違いましたが、タスキをされていないようでした。
また、古墳などあるエリアでは1名の女性がいましたが、その方は私同様たすきを掛けて参拝をしていました。
この後、山道を下り、神域・たすき必須の注意書きがある入口から先程と違う道を下ると笑殿社が見えました。
笑殿社〈わらへどのしゃ〉
◆御祭神 事代主命(コトシロヌシノミコト)
◆商売繁盛の神
◆少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)
◆医薬・健康の神
事代主命は当宮の主祭神大国主命の御子神であり、皇孫に対する国譲りに功績のあった神様でありまして、託宣を司る御神徳で著名です。
また少那毘古名命は国譲り以前の国造りに際して大国主命に御協力遊ばされ、共に温泉を衆庶に広めて医薬を教え、その完了後は常世国にお移りになられました。
再び、拝殿のある境内に戻ってきました。
拝殿近くに大国恵比須舎など、他に多くの見所がある神社でした。
大国恵比須舎
大国恵比須舎は社殿創建千三百五年を記念して建立いたしました。
大国さまはご本殿にてお祀りしております縁結びの神 大国主大神さま
恵比須さまは笑殿社にてお祀りしております商売繁昌の神 事代主大神さまの事でございます。
「十日戎」にあたる1月10日に事代主大神さま(恵比須さま)への感謝と、貴社商売繁昌をご祈願するゑびす祭をご斎行いたします。
Control number:
G26_出雲大神宮_IZM046_20220303
Create:2024.02.13