たいぞうじ
国の重要文化財、熊野磨崖仏の参道入り口に位置する胎蔵寺は本尊に阿弥陀如来をお祀りし、今熊野山の山号にも見るとおり紀州の熊野権現を奉じる修験の勢力と結びつき独自の神仏習合の山岳修験道場として発展してまいりました。
現在は、廃仏毀釈以降、今熊野社と胎蔵寺は分かれておりますがもともとは胎蔵寺の奥之院として位置しており、現在でもその流れは強く残っており十年一会の峯入り行の際は熊野磨崖仏の不動明王御宝前にて採燈護摩を焚き入峯が始まります。
(宇佐国東半島を巡る会・霊場一覧サイトより)
大分交通の定期観光バスで熊野摩崖仏で立寄り拝観。
胎蔵寺は馬城山伝乗寺の末寺として開かれ、巨大な磨崖仏で有名な「熊野磨崖仏」の入口に構えるお寺。
(熊野摩崖仏は、後述記載)
天台宗現行峯入りの出発点で、昔は明王院の徒八坊があり、熊野権現を管理していたそうです。
神仏分離で分かれ、熊野権現のご正体は寺内に祀られているそうです。
境内はそれほど大きくはありませんが、入り口の仁王様や七福神がキンピカに輝いています。
キンピカは、「護符シール」で寺院で販売されています。
境内の十二支の石像も金ピカに貼られていました。
境内中央にある「熊野羊水」の龍を撫でると子宝に恵まれるそうです。
今熊野山胎蔵寺は、熊野磨崖仏の入口に構えるお寺で、摩崖仏への参道は99の石段があります。
昔、鬼が一夜にして築いたと言う伝説があるようです。
<伝説>
昔この地域にいた鬼が権現様に「人間の肉が食べたい」と願います。「日暮れから翌朝までに百段の石段を造れば許そう」と権現様は言ったのですが、なんとあれよあれよという間に九十九段まで積み上げ、最後の一段を完成させようとしたときに権現様が「コケコッコー」と夜明けを告げる鳴きまねをしたのです。鬼はこの声を聴いて「権現様に殺される」と石を抱えて逃げて行ったのだとか。
左に胎蔵寺が見えますが、駐車場付近の案内所で拝観料を払い右側の緩やかな石段を進みます。(杖が用意されています)
出発から約5分、約300m地点に鳥居があります。
ここから自然石を積み上げた石段が続きます。
ここが、伝説の99段の石段です。
99段以上ありそうです。
足場が悪く、さらに5分歩くと左側に開けた場所があり、岩肌に掘られた大日如来と不動明王が見えます。
平安時代の末期(1100年代)の作のようです。
また、養老2年(718年)宇佐神宮の祭神「八幡神」の化身である仁聞菩薩が造立したという伝説も残り、国内最古にして最大級の磨崖仏のところです。
左側が、不動明王像(高さ約8m)。
眼球が出て、牙をむき出しにして唇をかんでいるようです。
怒った顔が一般的な不動明王と比べて少し優しい顔立ちに見てます。
右側は、大日如来像(高さ約6.8m)。
こちらの仏様は磨崖仏を掘る技術を持った僧とその弟子たちが掘ったといわれています。
さらに、20段ほど上に道が続きます。
2分程足場が悪い山道を上がると目の前には熊野神社が現れます。
古びた趣のある木造の本堂。
宇佐神宮の八幡神の化身が磨崖仏を作ったと伝わるように、国東半島が神と仏の共存する神仏習合が発展した地だということを感じる場所でした。
入口から摩崖仏までは、片道15分から20分見ておくと行けそうです。