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射水神社|富山県

射水神社
いみずじんじゃ
 

射水神社
基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2021年10月21日
初穂料:500円(直書)
授与所:授与所

<由緒>

越中国は古くから名の知られた神社が鎮座されるなかで、当社は神社の戸籍帳とも云われる『延喜式神名帳(出雲本)において国内唯一の名神大社、また加賀国一宮の白山比咩神社に伝わる『白山之記』(国指定重要文化財)では「越中一宮」と記されています。

射水(いみず)」という社名は平安時代初期の『国造本紀』に記された「伊弥頭(いみづ)国造」に由来するとされ、平安時代より前から当地の豪族を中心に信仰されていたことが推察されます。

創祀は太古で、当初は現在の鎮座地から5kmほど北の大伴家持卿由来の名勝・二上山山麓に鎮座され、祭祀が行われていました。当時の領域は、二上荘67ヵ村、二上神を二上権現として祀った別当寺を含めた社寺は二上全山に亘り22万余坪に達したといわれ、越中国全土の各戸より毎年「初穂米一升二合」奉納の制度があり、隆盛を極めました。以後、戦国期に戦災で社殿を焼失したこともありますが、皇室や武将の尊崇も篤く、江戸時代には加賀藩の祈祷所になるなど、越中国一宮としての格式を保持してきました。

当社はこの地で千年超を過ごし、明治4年(1871)に越中最高位の「国幣中社」に列格、その4年後、高岡城跡(国指定史跡[平成27年4月指定])の「高岡古城公園」へ遷座されました。江戸時代の城跡に社殿を構える一宮は全国で当社のみです。

初代加賀藩主・前田利長公ゆかりの高岡古城公園は、富山県高岡市の中心に位置し、四季折々の表情が豊かな約21万㎡という広大な公園の中央、本丸跡に神社は鎮座しています。

現在の神明造の社殿は明治35年(1902)造営。その2年前に起きた高岡大火からの再建で、建築界で初めて文化勲章を受けた伊東忠太氏が設計を、加賀藩の御用を勤めて松井建設を設立した松井組の松井角平氏が施工を担当しました。

また、昭和4年(1929)の昭和天皇即位の礼大嘗祭にあたって下附された鳥居が拝殿前に建造されており、平成27年秋に行われた10年に1度の式年大祭に合わせて伊勢の神宮から鳥居が特別に譲与され、同年4月5日には県下一円の崇敬者により、ご用材の奉曳行事が行われました。本鳥居(第一鳥居)の建立によって、社頭に往時の姿が蘇りました。
(公式サイトより)

 🐾 あしあと 🐾  

JR・あいの風とやま鉄道の高岡駅から徒歩10分。
初代加賀藩主・前田利長公ゆかりの高岡古城公園の中央(本丸跡)に神社があります。
城跡にある境内周辺は濠になっています。
銅板巻き神明型大鳥居(1975年修築)に続き、2015年に、伊勢神宮豊受大神宮[外宮]の御正宮の奥「板垣北御門(=鳥居)」を特別に譲り受けて建てられた木曽檜製の神明鳥居(高さ約4.8m、幅約6.5m、間口約3.8m)の第一鳥居が見えてきます。

銅板巻き神明型大鳥居
外拝殿で参拝。

拝殿内部
こちらに掲げられている扁額は、第12代加賀藩主の前田斉泰公の筆によるものようです。

扁額(第12代加賀藩主の前田斉泰公の筆)
外拝殿の横の授与所(御朱印受付所)で御朱印を拝受。

御朱印案内
この日は、七五三参りなどで祈祷を申込される家族連れ3組が居た為、御朱印に少し時間がかかりました。
境内には、さざれ石や相撲場が見えていました。

さざれ石

相撲場

射水神社

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 G16_射水神社_IZM006_20211021
Create:2024.02.05

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