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龍源寺|秋田県

龍源寺
りゅうげんじ
 

龍源寺

基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2022年10月17日
納経料:お心・300円(直書)
授与所:寺務所(受付)

<案内>
金嶺山 龍源寺は、福井の永平寺・鶴見の總持寺を両本山とする日本曹洞宗の寺院です。
1623年藩主打越家の手によって建立された後、矢島に移封された生駒家の菩提寺となり今に到ります。
茅葺き屋根の本堂を伽藍の中央に据え、大檀那生駒家を奉る御霊屋、開基打越家を奉る観音堂や開山堂、中興開山堂、さらには檀信徒会館庫裡「金龍閣」を擁しております。
(公式サイトより)

龍源寺(由利本荘市矢島町)概要:
龍源寺は生駒(矢島)藩主生駒家の菩提寺です。
創建は元和9年(1623)で江戸時代初頭、矢島を領していた打越氏が長国寺(茨城県潮来市)の白峰廣椿和尚を招いて開かれたのが始まりとされます。
打越氏は旧由利郡打越を本貫とした氏族で、戦国時代は由利十二頭の一角として一定の勢力があり一族と思われる仁賀保氏に従っていました。
天正18年(1590)の太閤検地により領主として認められ、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでも東軍として行動した為、慶長7年(1602)には常陸國行方郡新宮2千石で移封となっています。
その後、由利郡は最上領となっていましたが、元和8年(1622)に最上騒動により改易となり、元和9年(1623)に打越左近光隆が旧領に近い矢島領3千石の領主として入封し菩提寺となる龍源寺を創建しました。
しかし、2代打越光久が寛永11年(1634)に没すると後継ぎがいなかった為に断絶、寛永17年(1640)に生駒家がお家騒動の為、四国の高松17万石から1万石に減封され矢島に入ると龍源寺を菩提寺としました。
龍源寺は領主の菩提寺、領内曹洞宗寺院の僧録所として寺運が隆盛しましたが、江戸時代末期の戊辰戦争の際、生駒家が新政府方に与した為、奥羽越列藩同盟に調印した庄内藩の侵攻を受け、その兵火により堂宇が焼失しています。

現在の龍源寺建物(本堂)は明治13年(1880)に建てられたもので木造平屋建て、寄棟、平入、桁行24m、梁間16m、茅葺屋根の重厚な造りで、一瞬目を引き付けられます。
特に正面入り口屋根はかなり前まで張り出してきていて格式の高さを象徴しているような印象を受けました。
龍源寺本堂は明治時代初期の大型寺院本堂建築の遺構として貴重で、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成16年(2004)に国登録有形文化財に登録されています。
敷地内には生駒家のお墓があります。
質素ですが矢島の歴史をとても重く感じる事が出来ます。
又、矢島領三十三観音霊場二番札所となっています。
山号:金嶺山。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来
秋田県WEB観光案内所より)

 🐾 あしあと 🐾  

秋田県羽後本荘・矢島間を走る由利高原鉄道の終点・矢島駅から徒歩15分にある寺院。
こちらは、2021年4月23日(金)に矢島駅に初めて訪問した際に拝観。
それから1年半後の2022年10月17日に再び拝観。
前回は御朱印を頂かなかったので、今回は御朱印の拝受を兼ねて訪問。

龍源寺
生駒家菩提寺の龍源寺の本堂は、茅葺屋根。
初回訪問の際は工事はされていませんでしたが、二度目の今回は本堂が工事中でした。(外から拝観)
境内には、観音堂、開山堂、中興開山堂が建っています。

瑠璃堂
本堂は、国の登録有形文化財になっています。

本堂内
隣接する寺務所の呼び鈴を鳴らし御朱印を依頼。
直筆記帳して頂き、千円を差し出すと、納経料は「お心」と言うお言葉を頂き、300円があったので、お渡ししました。
 

龍源寺

Control number:
 G05_龍源寺_STN038_20221017
Create:2024.01.23

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