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四国乃木神社|香川県

四国乃木神社
しこくのぎじんじゃ
 

四国乃木神社
基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2022年8月4日
初穂料:300円(直書)
授与所:讃岐宮(香川縣護国神社社務所

<由緒>
四国四県の町村長が基金を拠出し、昭和12年全国6社の1社として、ここに「四国乃木神社」を創設。
明治天皇の御大葬日(1912年)に殉死した乃木希典(のぎまれすけ)・静子夫妻が祭神として祀られています。乃木神社は、乃木将軍の死後、その生きざまに感動して多くの人々が乃木邸を訪れたことから、夫妻の霊を慰める「乃木会」が結成されたことに始まります。東京など数ヶ所に乃木将軍にゆかりのある神社がつくられ、善通寺には昭和10年(1935年)に造営されました。
善通寺市HPには昭和10年、讃岐宮HPには昭和12年創建)

善通寺と縁の深い軍人・乃木希典
陸軍大将として多くの人々から尊敬された乃木希典(のぎまれすけ)は、嘉永2年(1849年)に長州藩士として江戸に生まれ、藩校明倫館に学びました。旧幕府と新政府軍の戦いであった戊申(ぼしん)戦争、西南戦争に参加した後、ドイツに留学して軍政や戦術を学び、帰国後は陸軍改革に取り組みました。日清戦争従軍、台湾総督を経て、明治31年(1898年)に善通寺の陸軍第11師団の初代師団長として着任しました。
 師団長として赴任した2年8ヶ月、乃木希典金倉寺(こんぞうじ)を宿舎としました。大晦日のこと、東京から静子夫人が面会に来ましたが、会わずに追い返します。途方にくれた婦人は、しばらく境内の松のたもとにたたずみますが、やがて夫の意をくんで帰っていきました。この話は明治の軍人の気骨をしのばせる逸話となり、夫人がたたずんだ松は「妻返しの松」と呼ばれています。
 日露戦争では、第3軍司令官として旅順を攻略。参議官、学習院長を歴任し、1912年、明治天皇の御大葬の当日に夫人とともに殉死しました。
善通寺市公式サイトより)

 🐾 あしあと 🐾  

善通寺駅から駅前の道を進み、四国学院大学を過ぎた辺りに香川県護国神社に隣接した場所に乃木神社があります。

乃木神社
最初は、香川縣護国神社に参拝し、その後、隣接する木々の道を抜けた場所から四国乃木神社へ参拝しました。

讃岐宮から乃木神社へ抜ける道
こちらの本殿、拝殿、手水舎は国登録有形文化財に指定されているようです。

拝殿
静かな境内から拝殿に参拝。
拝殿内を覗くと左右に乃木希典・静子夫妻の巨大写真が置かれていました。

乃木希典

乃木静子
全国に乃木将軍夫妻をまつる神社がありますが、香川県にもありました。
境内には、軍馬の忠魂碑(ちゅうこんひ)や土木建築などの技術を持つ「工兵隊」の歴史が刻まれた石碑、旧工兵第11連隊の門碑などが残されていました。

石碑、旧工兵第11連隊の門碑
御朱印は、香川縣護国神社社務所で頂けます。

四国乃木神社

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 G37_四国乃木神社_TSJ003_20220804
Create:2024.03.01

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