新潟縣護國神社
にいがたけんごこくじんじゃ
新潟白山神社からバスの本数や路線が分からないので、MAPを見ながら歩くこと30分。
日本海の見える新潟市水族館(マリンピア日本海)近くの森の一部に新潟縣護国神社がありました。
鳥居から階段を上がると御神門が見えてきます。
御神門の手前には手水舎があります。
御神門を抜けると左右に回廊、正面に社殿があります。
御神門を進むと社殿が正面にあります。
社殿で参拝。
社殿から御神門を振り返ると、美しい緑の芝生に直線の参道。
社殿で参拝を終え、回廊外にある社務所で御朱印を拝受。
御朱印は数種類ありましたが、神社御朱印を頂きました。
また、「ウクライナの平和を願う御朱印」もありました。
境内には、参拝者は見掛けませんでしたが、神門前の駐車場には十数台の車が止まっていました。
この後、日本海に沿って立ち並ぶ松林沿いを10分程歩き、新潟駅方面のバスが出ている水族館前のバス停まで行きました。
この後、路線バスもありましたが、観光循環バスで新潟駅まで乗車しました。
にいがたけんごこくじんじゃ
基本情報
<由緒>
明治元年10月29日、新潟市常盤岡(現在、新潟市中央区旭町一番町、新潟大学医学部)に「招魂社」(しょうこんしゃ)を祀り、 明治維新の際、国事に殉難したご英霊の慰霊祭を行ったことに始まる。
明治8年、新潟招魂社となり、明治10年には新たに社殿が建立された。
明治34年、官祭社「新潟招魂社」となり、昭和14年(内務省令3月15日)に「新潟縣護國神社」となる。
昭和16年7月、内務大臣の許可を得て現在地に新潟縣護國神社を創建することが決定され、 同17年5月8日より県内各地より延べ25万人の勤労奉仕と80余万円のご浄財により、昭和20年5月に竣工しました。
平成7年の「御鎮座50周年」には県民のご浄財により、 大拝殿・祈祷者休憩所の新築や鳥居、社務所、境内の改修が立派に竣工し整備されました。
平成30年の「御創祀150年」には記念事業として御神門・回廊造営・祈祷者待合応接室建設・神楽殿の移設改修・境内整備など、【参拝のバリアフリー化】と、【県民の文化・武道等のイベント・神賑行事空間の創出】を目的とした50年・100年先を見据えた造営計画の集大成として竣工しました。
(公式サイトより)
明治元年10月29日、新潟市常盤岡(現在、新潟市中央区旭町一番町、新潟大学医学部)に「招魂社」(しょうこんしゃ)を祀り、 明治維新の際、国事に殉難したご英霊の慰霊祭を行ったことに始まる。
明治8年、新潟招魂社となり、明治10年には新たに社殿が建立された。
明治34年、官祭社「新潟招魂社」となり、昭和14年(内務省令3月15日)に「新潟縣護國神社」となる。
昭和16年7月、内務大臣の許可を得て現在地に新潟縣護國神社を創建することが決定され、 同17年5月8日より県内各地より延べ25万人の勤労奉仕と80余万円のご浄財により、昭和20年5月に竣工しました。
平成7年の「御鎮座50周年」には県民のご浄財により、 大拝殿・祈祷者休憩所の新築や鳥居、社務所、境内の改修が立派に竣工し整備されました。
平成30年の「御創祀150年」には記念事業として御神門・回廊造営・祈祷者待合応接室建設・神楽殿の移設改修・境内整備など、【参拝のバリアフリー化】と、【県民の文化・武道等のイベント・神賑行事空間の創出】を目的とした50年・100年先を見据えた造営計画の集大成として竣工しました。
(公式サイトより)
🐾 あしあと 🐾
新潟白山神社からバスの本数や路線が分からないので、MAPを見ながら歩くこと30分。
日本海の見える新潟市水族館(マリンピア日本海)近くの森の一部に新潟縣護国神社がありました。
鳥居から階段を上がると御神門が見えてきます。
御神門の手前には手水舎があります。
御神門を抜けると左右に回廊、正面に社殿があります。
御神門を進むと社殿が正面にあります。
社殿で参拝。
社殿から御神門を振り返ると、美しい緑の芝生に直線の参道。
社殿で参拝を終え、回廊外にある社務所で御朱印を拝受。
御朱印は数種類ありましたが、神社御朱印を頂きました。
また、「ウクライナの平和を願う御朱印」もありました。
境内には、参拝者は見掛けませんでしたが、神門前の駐車場には十数台の車が止まっていました。
この後、日本海に沿って立ち並ぶ松林沿いを10分程歩き、新潟駅方面のバスが出ている水族館前のバス停まで行きました。
この後、路線バスもありましたが、観光循環バスで新潟駅まで乗車しました。
Control number:
G15_新潟縣護國神社_OTG033_20220620
Create:2024.02.03