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大宰府天満宮|福岡県

大宰府天満宮
だざいふてんまんぐう
 

大宰府天満宮
基本情報
御朱印

御朱印

参拝日:2022年4月6日
初穂料:300円(直書)
授与所:社務所

<御由緒>
昌泰4年(901)、道真公は藤原氏の策謀により、大宰権帥に左遷されます。大宰府での道真公は、貧しい生活の中でも天を恨まず、人を憎まず、皇室の弥栄と国家の平安を祈られ続け、2年後の延喜3年(903)2月25日、大宰府政庁の南館(現:榎社)にて59年の御生涯を閉じられました。御遺言により、御遺骸は大宰府の地に葬られることになり、牛車に奉戴し東北の方角へ葬列を進めていたところ、にわかに牛が臥して動かなくなりました。これは道真公の思し召しに違いないと、門弟味酒安行はその地に埋葬し、祀庿(しびょう)を造営しました。延喜19年(919)には勅命により御社殿が造営され、以後幾度となく勅使が差し遣わされるなど、皇室のご崇敬を集めることとなりました。
醍醐天皇は、道真公の御生前の忠誠を思い起こされ、延長元年(923)には従二位大宰員外帥より右大臣に復され、その後、一条天皇によって、正一位左大臣さらに太政大臣を贈られます。以来「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」すなわち「天神さま」として、崇められることとなりました。
道真公の孫にあたる菅原平忠が当宮の別当職に任命されて以来、太宰府天満宮は代々菅原家直系の子孫によって守り継がれてきました。現在は道真公より数えて40代目にあたる宮司により、祭祀が厳修されています。
また、現在の御本殿は天正19年(1591)に筑前国小早川隆景の寄進により造営されました。安土桃山時代の豪壮華麗な様式を今に伝えるものとして、国の重要文化財に指定されております。創建当初より道真公の御墓所の上に御社殿をいただく当宮は、古くより唯一「菅聖庿」と称えられ、天神信仰はじまりの地、そして全国天満宮約10,000社の総本宮として、今日も多くのご崇敬を集めています。
(公式サイトより)
 🐾 あしあと 🐾  

西鉄太宰府駅から参道が続く太宰府天満宮
朝8時半前に到着した時は、通勤通学客で駅前は混雑していましたが、参道はお店がまだ空いておらず参拝客も僅か。

参道
太宰府天満宮境内に入ると太鼓橋と心地池がお出迎え。

太鼓橋と心地池
心字池に架かる三つの橋は、それぞれ過去・現在・未来を表しているようです。
さらに、参道を進むと楼門・御本殿が見えてきます。

参道の先には楼門と御本殿

楼門内部には、天神さまをお守りする随神の姿が見えます。

楼門

随神

朝8時半。
御本殿に向かった時、神職さんが御本殿に参集しお祓いを受け心身を清める「朝拝神事」が行われていました。

本殿前

朝拝神事
神妙な空気の境内で神事を見守り、神事は5分程で終わり、本殿へ参拝。

参拝後、御朱印を授与所で拝受。
こちらでは、九州最古のお稲荷さんと言われる天開稲荷社の御朱印も頂けます。

御朱印
境内の裏山へ続く先に鎮座する天開稲荷社に行く前に境内の摂社・末社へ参拝。
最初はお菓子の神様を祀る中島神社に参拝。

中島神社

社説板

お菓子の神様である田道間守命(たじまもりのみこと)をお祀りしています。
お菓子の神様として製菓業を営む皆様からご崇敬を集め、毎年春と秋に祭典を執り行います。

摂社・末社

摂社・末社
摂社では道真公とゆかりの深い神様を、末社ではそれ以外の国家や社会を御守護いただく神様をお祀りしています。両社を合わせて37社あります。

筆塚・包丁塚

筆塚・解説板

相輪樘(そうりんとう)

相輪樘(そうりんとう)

仏教の塔の新形式で伝教大師によって伝えられたもの。
わが国には8基あり九州にはこの1基のみが現存。
相輪橖とは塔婆を簡略化したもので、この相輪橖は、享和2(1802)年、菅公900年忌にあたり、博多の商人らによって奉納されたもの。
相輪というのは五重の塔のてっぺんについてるもの。
鋳造は博多鋳物師の山鹿氏によるもので中央柱は高さ6m、脇柱は高さ2.4m。
太宰府天満宮が昔「安楽寺天満宮」と言われていた神仏混交時代の名残の塔。
<市指定の有形文化財
2012年(平成24)5月25日指定

境内図
この後は、天開稲荷社へ向かい、駅へ向かいました。
参道では、開店していたお店で太宰府天満宮名物のお餅・松ヶ枝餅を1個(130円)購入。

松ヶ枝餅
熱々の焼餅でした。

松ヶ枝餅

大宰府天満宮

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 G40_大宰府天満宮_OTG014_20220406
Create:2024.03.08

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