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御朱印、御城印、鉄印、駅スタンプなど

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生田神社|兵庫県

生田神社
いくたじんじゃ
 

生田神社

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

御朱印

御朱印

御朱印

参拝日:①2022年5月4日
    ②2023年1月4日
    ③2023年12月2日

初穂料:500円(直書)
授与所:社務所

<御由緒・歴史>
神酒を醸す宮
新羅からの客人に当社で醸造した神酒を振舞っていたことが伝えられている。
その由縁から毎年神酒を醸造し、新羅の客人が来朝するたびに邪気を祓う為、生田の地で醸された神酒を振舞った。
新羅の客人の罪穢れを祓い心身共に清々しくさせ、心を和ませるといった朝貢外交以上に平和外交上重要な役目を担っていた。
砂山の大洪水 生田神社、今の場所に遷る
当初は砂山いさごやまに鎮座していた。延暦18年(西暦799年)に洪水で布引の渓流が氾濫し、砂山西端が崩壊し、社殿が傾斜する被害が及んだため、生田村の刀禰七太夫なる者がご神体を背負い7、8日間鎮座地を探し巡り、生田の森に至った時、突然背負ったご神体が重くなりこれ以上歩けなくなった。
これはご神意であろうとその場所安置した。
神戸の地名は生田神社から
大同元年(西暦806年)朝廷より当社の為にお供えする家、世話をする家、守る家である神戸かんべ44戸を頂いたとあり、この「かんべ」が「こんべ」となり現在の「こうべ」となったと伝わっています。
むすびの神曲
戦前より結婚式を行っている当社では宮城道雄師作曲の「むすびの神曲」という曲が三三九度の際に奏されます。
この曲は我が国初めての夫婦神である伊弉諾
伊弉冊の2神が結婚の際に読まれた歌と素戔嗚尊の婚姻の歌を歌詞として奉奏しております。
(公式サイトより)

 

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神戸を代表する神社の一つ・生田神社に参拝。
こちらは、阪急三宮駅阪神、JRから徒歩圏内。
そのため、縁むすびの水占い(生田の森)などで参拝する若者も目立ちます。

生田神社の楼門。

楼門

こちらの扁額は、境内側と外側と違います。
入口(楼門南面側)の扁額は「生田宮」。

扁額 生田宮

境内側(楼門北面側)の扁額は、「神恩感謝」。
神の恩恵に感謝する意味があります。

扁額

境内に入ると社殿(拝殿)が正面に見えてきます。
GWや正月は行列が出来る程の人で、参拝するのに時間がかかります。

拝殿

社殿内部

参拝後、社務所御朱印を頂きます。
参拝者が多いため、多忙期は数名の巫女さんが受付されます。
また、特別御朱印など多種類が季節によって準備されています。
今回は、生田神社と弁財天の通常版を拝受。
(初穂料は前払い)

御朱印(見本)

御朱印(見本)②

御朱印(見本)③



この時の特別御朱印の見本を撮影。

特別御朱印

特別御朱印

特別御朱印
▶2023/01/04(追記)令和5年の絵馬がありました。

絵馬②

巨大絵馬は、楼門を出た近くの生田神社会館前の入口に置かれていました。

巨大絵馬②
;
▶2023/12/02(追記)令和6年の絵馬が拝殿右側に置かれていました

令和6年巨大絵馬③

<境内の主な社などを紹介>
社殿(本殿・拝殿)の中には、左から社があります。
外からは少し遠くにあり、見えづらいです。

社殿内部③

左から
日吉神社諏訪神社―(本殿)ー八幡神社住吉神社

この後、社殿後方にある生田の森へ向かいます。
生田の森までの途中には、幾つもの社が鎮座。
生田の池には、市杵島神社。

市杵島神社

市杵島神社

弁天社があります。

弁天社

生田の森周辺に、戸隠神社

戸隠神社

戸隠神社

本殿裏に蛭子神社

蛭子神社

蛭子神社

生田の森入口

生田の森入口③

縁結びの水占い

縁結びの水占い③

生田の森には、生田森坐社。

生田森坐社

生田森坐社

東門側手前に稲荷神社。

稲荷神社③

稲荷神社③

稲荷神社

東門から拝殿横には、人丸神社・雷大臣神社・塞神社が並んでいます。

人丸神社・雷大臣神社・塞神社

人丸神社・雷大臣神社・塞神社

楼門の外側には、大海神社松尾神社の社があります。

大海神社

大海神社

大海神社
 

生田神社①

生田神社(弁財天)①

生田神社②

生田神社③

掲載の写真タイトル後の番号は、参拝回数時を示しています。
(例:初回は無字or①)

Control number:
①G28_生田神社_OTG024_20220504
①G28_生田神社(弁財天)_OTG025_20220504
②G28_生田神社_KSG006_20230104
③G28_生田神社_NUG020_20231202
Create:2023.12.05

七宮神社|兵庫県

七宮神社
しちのみやじんじゃ
 

七宮神社②

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

御朱印

参拝日:①2022年6月22日
    ②2023年12月2日

初穂料:500円(直書)
授与所:社務所

<御由緒>
御創建の年代は遠く、詳かではありませんが、延喜式に所載の八部群汝売神が七宮の前身といわれています。また主祭神大己貴命大国主命大物主神、葦原醜男、八千矛神、大国玉神、顧国玉神の七つの御名を称えて七宮神社ともいわれています。
応保元年(一一六一)平清盛が兵庫の津を整備するにあたり築島建設に際し埋め立てに塩槌山(会下山の南)を削り土砂を使用していましたが、暴風雨により工事が捗りませんでした。調べてみると塩槌山には大己貴命が祀られており、それが原因と考えた清盛は現在の地に社殿を移し、直筆の「南無七大明神」の神号を奉り、築島は完成しました。それ以降兵庫の津北浜の産土神として祀られています。
天正十年(一五八二)には正親町天皇より七宮大明神の勅額及び三種の神宝の絵画を下賜され慶長七年(一六〇二)片桐且元大久保長安により、社殿の造営や太刀、金幣、狛犬等が寄進されました。
寛政十一年(一七九九)に淡路島五色町出身、西出町で商いをしていた高田屋嘉兵衛翁が辰悦丸を含む持ち船三隻の模型を奉納し航海安全を祈願しました。それ以降海上業者は当社を崇敬するようになりました。
しかし、神戸大空襲の戦災により社殿及び宝物等すべてを焼失しました
(公式サイトより)

 

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メトロこうべ(神戸高速・新開地駅)から徒歩20分。
JR神戸駅から10分程歩きますが、交差点付近の七宮神社へ。

七宮神社②

こちらは2回目の参拝。(2023年12月2日現在)

由緒案内①

1回目は、2022年6月22日(①)参拝。

手水舎①

境内に入ると左側に手水舎があります。

手水舎②

拝殿で参拝。

扁額①

拝殿の左前には、兵庫大神宮の石標が置かれていました。

兵庫大神宮の石標②

拝殿前には2連の狛犬が左右に鎮座。

狛犬

参拝を終え、社務所御朱印を拝受。

社務所

社務所

この日(2回目)は、赤ちゃんを抱きながらの女性が御朱印帳を受付、奥の男性の方が記帳。

御朱印(見本)②

境内には、絵馬もありました。

絵馬②
 

七宮神社①

 

七宮神社②

掲載の写真タイトル後の番号は、参拝回数時を示しています。
(例:初回は無字or①)

Control number:
①G28_七宮神社_FUJ037_20220622
②G28_七宮神社_NUG016_20231202
Create:2023.12.04

湊川神社|兵庫県

湊川神社
みなとがわじんじゃ
 

拝殿③

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

御朱印

御朱印(楠公墓所)②

御朱印(楠宮稲荷社)②

御朱印

参拝日:
 ①2022年11月26日
 ②2023年1月4日
 ③2023年12月2日

初穂料:500円(直書)
授与所:社務所

<御由緒>
楠木正成公は後醍醐天皇の勅命を受け、鎌倉幕府の勢力や新たに武家の政権を立てようとする足利高氏と戦って正義と忠誠を示されました。
しかし延元元年(1336)に、この湊川の地での足利軍との戦(湊川の戦い)で自刃されました。
その後地元の人々によって、この地に葬られていた正成公の塚(お墓)は大切に守られてきましたが、江戸時代に入り、正成公を非常に崇敬された徳川光圀公によって立派なお墓が建立されました。
このお墓の建立後は正成公を慕い、その精神を拠り所とするため、多くの人々が参詣し、特に幕末には吉田松陰坂本龍馬など、志士達が訪れました。
明治元年明治天皇がこの地に神社創祀の御沙汰を下され、明治5年に創建されました。
正成公の「御殉節地」と、徳川光圀公自筆による「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑は、国の重要文化財史跡。
先の大戦で焼失し戦後復興された社殿の天井には、全国の著名画家から奉納された天井画164点が収められ荘厳で豪華です。
宝物殿には「段威腹巻」(伝正成公御着用)や御真筆「法華経奥書」(共に国重要文化財)などゆかりの品々を展示しています。
また境内には、楠木家と能楽の祖である観阿弥世阿弥との血縁関係より神能殿があり、兵庫県内随一の和の殿堂として伝統芸能愛好者に親しまれています。

(公式サイトより)

 

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楠木正成公をお祀りする湊川神社へ参拝。(複数参拝)
高速神戸駅の地下を上がると表神門が見えてきます。

表神門③

表神門を進むと右側に楠木正成殉節地、楠木正成公御墓所があります。

楠木正成公御墓所

楠木正成公御墓所

多くの方は、正面の湊川神社の社殿に向かって参拝されますが、参道右手の門を進むと授与所(無人)・手水舎があります。

手水舎②

この先には、湊川の戦いで自刃された楠木正成殉節地(じゅんせつち)があります。

楠木正成 殉節地②

延元元年(1336)5月25日、湊川合戦の末、正成公をはじめご一族が殉節を遂げられた場所です。(国指定文化財史跡)

炎天下に於ける足利軍との激戦の末、楠木一族が最期を迎えられた湊川の北方の民家が、この殉節地奥、注連縄の張られた辺りの場所であったと伝えられています。
もはやこれまでと覚悟された正成公、73人の一族郎党が2列に並び、念仏十編を唱え一斉に腹を切り、正成公と正季卿は、「七生滅賊」を誓い合い、刺し交えて、その壮烈無双な生涯を閉じられたのです。

佐賀藩楠公義祭同盟」の出身者大隈重信江藤新平大木喬任がそれぞれが一対づつ奉納した大燈籠や、初代兵庫県知事であり、湊川神社創建に深く寄与した伊藤博文が大蔵少輔兼民部少輔時代に奉納した一対の燈籠など、楠公を偲んだ勤皇精神の志気の跡が残っています。
(公式サイト・楠公史跡より)

付近には、墓所の建立に尽力した徳川光圀公を追慕し、人間国宝平櫛田中(でんちゅう)作の徳川光圀公像が建っています。

徳川光圀公像②

楠木正成公御墓所周辺

再び、湊川神社の参道へ戻ると、右手に朱色の鳥居が並ぶ稲荷神社があります。

稲荷神社②

稲荷神社

稲荷神社
▶2023/01/04(追記)2度目の参拝は、1月4日。
正月の時期で、表門付近から境内の左右には露店が出ており、人が多かったです。

正月4日の表門付近の露店②


参道を進みます。
拝殿右手前に手水舎があります。

手水舎

拝殿へ向かいます。

拝殿

社殿内では、祈祷が行われていました。

社殿内

参拝日は2022年11月26日。
令和5年(2023年)の絵馬が社殿左にありました。

絵馬

こちらの本殿内部の天井画も素晴らしい!

天井画(中央)

天井画(左)

天井画(右)

参拝を終え、帰りの参道右手の社務所御朱印を拝受。

社務所・授与所③

社務所

こちらでは、数種類の御朱印があります。
初回参拝のこの日は、通常版・湊川神社御朱印だけにしました。

御朱印一覧
▶2023/01/04(追記)2度目の参拝時の御朱印一覧

御朱印一覧②

▶2023/12/02(追記)3度目の参拝時の御朱印一覧
申込書にチェックして受付します。

御朱印一覧③


境内には、絵馬もありました。

絵馬

他にも宝物殿、神能殿、楠公会館、尚志館、天満神社が参道周辺にあります。

 

湊川神社

湊川神社

湊川神社(楠公墓所)②

湊川神社(楠本稲荷神社)②

湊川神社

掲載の写真タイトル後の番号は、参拝回数時を示しています。
(例:初回は無字or①)

Control number:
①G28_湊川神社_TSJ016_20221126
②G28_湊川神社_KSG004_20230104
②G28_湊川神社(楠公墓所)_KSG005_20230104
②G28_湊川神社(楠本稲荷神社)_KSG003_20230104
③G28_湊川神社_NUG019_20231202
Create:2023.12.06

八宮神社|兵庫県

八宮神社
はちのみやじんじゃ
 

八宮神社

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2023年12月2日
初穂料:500円(直書)
授与所:社務所

<御由緒>
当社の御祭神は、天照大御神素盞鳴尊と剣玉を交換して誓約された際にお生まれになった五男神の一柱で、神功皇后三韓からの帰途、巡拝された一社です。  当社は、橘通の、旧県警庁舎の所に鎮座されていたのですが、明治四十二年に旧神戸市役所を当社鎮座地に新築したため、現在の楠町三丁目、大倉山南東の地に移転されました。  素盞鳴尊を御奉祀せられましたのは紀朝臣(きいのあそん)でありました、紀朝臣は後、紀伊国造となり素盞鳴尊と御祀りせられたものと伝えられております。
八部郡坂本村鎮守として奉斎。厄除守護神として、名高い神様です。

(公式サイトより)

 

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六宮神社と合祀している八宮神社。
拝殿右側には、六宮神社合祀と書かれた看板が掲げられています。

合祀の木版

八宮神社として、参拝。

拝殿内部

参拝後、御朱印を拝受。
境内に社務所らしき窓口が見当たらず、探していると小窓があり、偶然内側女性の方が気づかれ、御朱印をお願いしました。(合祀の六宮神社と共に依頼)

御朱印受付口

御朱印を拝受後、境内を見ると白髭稲荷神社があり、参拝。

白髭稲荷神社
 

八宮神社

Control number:
 G28_八宮神社_NUG017_20231202
Create:2023.12.04

六宮神社|兵庫県

六宮神社
ろくのみやじんじゃ
 

八宮神社と合祀

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2023年12月2日
初穂料:500円(直書)
授与所:八宮神社社務所

<御由緒>
当社の御祭神は、天照大御神素盞鳴尊と剣玉を交換して誓約された際にお生まれになった五男神の一柱で、神功皇后三韓からの帰途、巡拝をされた一社です。当社は現在の楠寺の前に鎮座されていましたが、明治42年12月に、楠高等小学校の新設により、八宮神社の御社殿に合祀されました。  坂本村皇別坂本臣紀朝臣(さかもとのおみきいのあそん)が御住みになっておられましたので、坂本臣紀朝臣は武内宿弥の末孫でありますので、御先祖の武内宿弥の御仕えさせられていました応神天皇を御祀りせられたものと伝えられています。出雲系の神様ですから、御一緒に祀られたものと考えられます。厄除の守護神として、古くから厄年の人の参詣が絶えません。
八部郡坂本村鎮守として奉斎。

(神戸八社巡りより)

 

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五宮神社の御朱印祇園神社で頂いた後、約20分歩いた先にある八宮神社へ。

八宮神社

六宮神社は、明治42年12月に、楠高等小学校の新設により、八宮神社の社殿に合祀されました。
このため、八宮神社で参拝。
拝殿の右側には六宮神社合祀と書かれた看板が掲げられていました。

六宮神社合祀

参拝後、御朱印は境内にある小さな窓口で頂けます。
最初は、どこが受付か分からず、建物の玄関からかと思いましたが、写真の場所で頂けます。

御朱印受付場所
 

六宮神社

Control number:
 G28_六宮神社_NUG015_20231202
Create:2023.12.04

祇園神社|兵庫県

祇園神
ぎおんじんじゃ
 

祇園神

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2023年12月2日
初穂料:500円(直書)
授与所:社務所・授与所

<御由緒>
御霊信仰
平安時代の末期、第56代清和天皇の御世、京都では疫病が流行って多くの人々が死んだり、雷が落ちたりする災害がよく起こりました。これらの原因は、災害で被害にあったり政治などで失脚した人々の祟りであり、その御霊を鎮める事によってその力を頂くと言う御霊(ごりょう)信仰がはやっていました。

京都白川 東光寺
そこで占いをし、姫路の広峰神社にまつられている素盞嗚尊(すさのおのみこと)がこれらの祟りを治めるのに力があるという事がわかりました。今の京都・八坂神社の前身、京都北白川の東光寺(後に今の八坂の地に移り『祇園感神院』と称した)に素盞嗚尊をおまつりするため、貞観11年(869)のある日、姫路から京都に向けてご分霊をお載せしたお神輿の行列が出発しました。

徳城坊阿闍梨
祇園神社のありますこの平野(ひらの)の地には、当時広峰神社と縁のある姫路の書写山円教寺で修行された徳城坊阿闍梨が住んでおり、その案内で一泊されました。地元の人々はその後もご神徳篤いのを感謝し、祠を作ったのが祇園神社の始まりとされていますので、約1150年余の歴史を持つ神社です。

雪之御所
近くには、福原京の跡と言われる『雪之御所』の碑(湊山小学校内)もあり、また平家の屋敷跡の遺跡『祇園遺跡(解説板のみ)』もあり平家ゆかりの地でもあります。又、この神輿をかいた人々も疲れを癒したでしょうか、有馬温泉と同じ泉質の『天王温泉』『湊山温泉』もあります。

異空間
神社は、祇園山の中腹にあり約90段の石段を登ってお参りいただきます。上りきったそこは、都会の喧騒からはなれた異空間。石段が大変な方は、裏の坂道をご利用ください。裏山からのえもいわれぬ心地よい風は、お参りいただいた方へのただひとつの『おもてなし』です。

宮座
さて、この神社では安土桃山時代天正年間以来8軒の家が宮座を組み、2軒ずつが1年ごとに神主役を奉仕(御当番と呼ばれた)してきました。江戸時代にはこの平野は、天領・片桐藩・畠山藩の3つの領地に別れましたが、天領・私領を問わずその庄屋連中8軒が協力して奉仕してきました。
江戸時代までの神社名は『素盞嗚社』あるいは『天王社』といわれ、通称『祇園さん』と呼ばれていましたが、明治になってからはその通称が正式な名称となりました。今も当社の横を流れる川を天王川といい、その谷を天王谷というのは、天王社といわれたころの名残りでしょう。

薬師堂
また、古絵図には、江戸時代までの神仏習合の時代、素盞嗚尊の本地仏とされる薬師如来をまつる薬師堂が境内にあったことが、描かれています。
(公式サイトより)

 

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五宮神社の御朱印を頂きに祇園山の麓に位置する祇園神社へ参拝。
(五宮神社から約500m、約8分)

祇園神社入口

住宅密集地の山裾を歩いていると大きな道路が見えてきます。
有馬街道(国道428号)に並行して境内があります。
境内へは、88段の階段(開運厄除の石段)を登ります。

参道の階段

上から見ると神戸駅ハーバーランド方面と海が見えます。

88段の階段

階段上からの光景。(境内から)

境内からの景色

階段を上がると正面に拝殿、左は授札所、右側には社務所、奥に本殿が見えてきます。

境内(正面は拝殿)

拝殿

右側に手水舎があります。

手水舎

拝殿の奥に本殿があります。

本殿

本殿が正面。
右が皇太社(国の平安を守る神)。
左が春日社(出世の神)。

案内板

こちらで参拝。
参拝後、手水舎後方の社務所御朱印を拝受。

社務所

社務所窓口

お昼の12時半。
参拝者は、来た時に2-3名居ましたが、帰り際には人影は見掛けず、偶然授与所窓口前に立っていると中から女性が出て来られ、御朱印帳を渡し記帳して頂きました。

御朱印見本

今回は、通常版(②)の御朱印を拝受。
冬限定版(①)は書置きのようです。
御朱印に書かれている「牛頭天王」。
こちらは、右側に説明文が掲げられているように「御祭神の素戔嗚尊の別名」のようです。

この後、再び境内を参拝。
本殿後方には、左から日清戦争従軍記念碑、市杵島社、一願石、稲荷社、授与所、島原神社が並び、本殿右には猿田彦社があります。

本殿裏手

一願石は、境内奥にあり見過ごしやす場所にあります。

一願石
こちらは1つだけ真心を込めて願い事をすると、その願いは成就すると、古くから信仰されている石です。

一願石

本殿の脇に絵馬掛けには、きゅうりが描かれています。

絵馬

こちらは、きゅうりを輪切りにすると、祇園神社の神紋に似ていることから、古来よりこちらの神社ではきゅうりをお供えして祈願すると言う風習があるようです。

参拝を終え、思っていた以上に広い境内。
毎年7月に8日間に渡る夏祭りが開催され、多数の参詣客が来られ、地元では「平野の祇園さん」と呼ばれているようです。

 

祇園神

Control number:
 G28_祇園神社_NUG018_20231202
Create:2023.12.04

五宮神社|兵庫県

五宮神社
ごのみやじんじゃ
 

五宮神社

 

基本情報

 

御朱印

御朱印

参拝日:2023年12月2日
初穂料:500円(直書)
授与所:神戸・平野祇園神社務所

<御由緒>
ご祭神天穂日命は、天照大御神が、素盞嗚尊と剣玉を交換して、誓約したときに生まれた五男神の内の一柱で、日本の国土開発のため、天照大御神のお使いとして努力された神様です。 この地に創祀された年代は不詳ですが、出雲国能義郡天穂日神社よりこの地に勧請され、神功皇后が、三韓へ行かれた帰りに巡拝された一社です。
境内からは、東はポートアイランド、南は神戸港、西は高取山や淡路島まで眺めることが出来るほど眺望に優れ、また北の背後のうっそうと茂る緑の山々からは流れて来るおいしい風は、参拝する方々の心をきっと和ませてくれるはずです。
かつては、神社の東沿いの道は北に鍋蓋山を通って東の再度山大龍寺へ参る人々、有馬へ品物を運ぶ人々で賑わっており、境内には茶店があったほどです。 今でも山から下りてきたハイカー達が立ち寄り、往時をしのびつつその素晴らしい景観に身を浸して、しばし心と身体を休める姿を見受けます。 又花隈の賑やかなころは芸者集の信仰も厚く、そのころ奉納された絵馬も稲荷社に残っています。

(神戸・平野祇園神社公式サイトより)

 

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四宮神社から徒歩20分。

道中の坂

山側の坂を上がると大きな木と五宮神社の文字が見える石碑があります。

神社入口

こちらは、横から境内に入る感じです。
階段を上がると拝殿が見えてきます。

拝殿

広い公園のような境内。裏手は山です。
参拝後、御朱印を頂く為に社務所を見ると閉鎖されていました。

社務所

拝殿の横には、朱印があり、さらに書置きの御朱印があるような台箱(訪問時は御朱印なし)があり、そこにメモ書きが書かれていました。
メモには、御朱印は、500m離れた祇園神社で・・・

拝殿横の御朱印

この日は阪神電車のハイキングで書置きが数枚あったかも知れません。
来た時はありませんでしたので、この後少し離れた祇園神社へ向かいます。

境内には、猿田彦社と岩松稲荷社がひっそり鎮座していました。

岩松稲荷社

拝殿の後方には鳥居があり、この周辺には、ご由緒の看板がありました。

由緒板

鳥居

鳥居をくぐり、下り道を進み、500m離れた祇園神社へ向かいました。(約5分程)

八十八段の階段を上がると祇園神社境内
 

五宮神社

Control number:
 G28_五宮神社_NUG014_20231202
Create:2023.12.04

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