いくたじんじゃ
神酒を醸す宮
新羅からの客人に当社で醸造した神酒を振舞っていたことが伝えられている。
その由縁から毎年神酒を醸造し、新羅の客人が来朝するたびに邪気を祓う為、生田の地で醸された神酒を振舞った。
新羅の客人の罪穢れを祓い心身共に清々しくさせ、心を和ませるといった朝貢外交以上に平和外交上重要な役目を担っていた。
砂山の大洪水 生田神社、今の場所に遷る
当初は砂山いさごやまに鎮座していた。延暦18年(西暦799年)に洪水で布引の渓流が氾濫し、砂山西端が崩壊し、社殿が傾斜する被害が及んだため、生田村の刀禰七太夫なる者がご神体を背負い7、8日間鎮座地を探し巡り、生田の森に至った時、突然背負ったご神体が重くなりこれ以上歩けなくなった。
これはご神意であろうとその場所安置した。
神戸の地名は生田神社から
大同元年(西暦806年)朝廷より当社の為にお供えする家、世話をする家、守る家である神戸かんべ44戸を頂いたとあり、この「かんべ」が「こんべ」となり現在の「こうべ」となったと伝わっています。
むすびの神曲
戦前より結婚式を行っている当社では宮城道雄師作曲の「むすびの神曲」という曲が三三九度の際に奏されます。
この曲は我が国初めての夫婦神である伊弉諾、
伊弉冊の2神が結婚の際に読まれた歌と素戔嗚尊の婚姻の歌を歌詞として奉奏しております。
(公式サイトより)
神戸を代表する神社の一つ・生田神社に参拝。
こちらは、阪急三宮駅、阪神、JRから徒歩圏内。
そのため、縁むすびの水占い(生田の森)などで参拝する若者も目立ちます。
生田神社の楼門。
こちらの扁額は、境内側と外側と違います。
入口(楼門南面側)の扁額は「生田宮」。
境内側(楼門北面側)の扁額は、「神恩感謝」。
神の恩恵に感謝する意味があります。
境内に入ると社殿(拝殿)が正面に見えてきます。
GWや正月は行列が出来る程の人で、参拝するのに時間がかかります。
参拝後、社務所で御朱印を頂きます。
参拝者が多いため、多忙期は数名の巫女さんが受付されます。
また、特別御朱印など多種類が季節によって準備されています。
今回は、生田神社と弁財天の通常版を拝受。
(初穂料は前払い)
この時の特別御朱印の見本を撮影。
<境内の主な社などを紹介>
社殿(本殿・拝殿)の中には、左から社があります。
外からは少し遠くにあり、見えづらいです。
左から
日吉神社―諏訪神社―(本殿)ー八幡神社―住吉神社
この後、社殿後方にある生田の森へ向かいます。
生田の森までの途中には、幾つもの社が鎮座。
生田の池には、市杵島神社。
弁天社があります。
生田の森周辺に、戸隠神社。
本殿裏に蛭子神社。
生田の森入口
縁結びの水占い
生田の森には、生田森坐社。
東門側手前に稲荷神社。
東門から拝殿横には、人丸神社・雷大臣神社・塞神社が並んでいます。
掲載の写真タイトル後の番号は、参拝回数時を示しています。
(例:初回は無字or①)
Control number:
①G28_生田神社_OTG024_20220504
①G28_生田神社(弁財天)_OTG025_20220504
②G28_生田神社_KSG006_20230104
③G28_生田神社_NUG020_20231202
Create:2023.12.05