瑞龍寺
ずいりゅうじ
高岡駅から新高岡方面の道を10分程歩くと、加賀藩2代藩主前田利長公の菩提をとむらうため三代藩主利常によって建立された寺「高岡山 瑞龍寺」があります。
総門手前の受付で拝観料500円を払い、さらにここで御朱印帳を預けて拝観します。
今回は、3種類(各300円)の御朱印をお願いして境内へ向かいます。
国宝の山門・仏殿・法堂と参拝し、重要文化財の南西回廊、北回廊(大庫裏と鐘楼付属)、南東回廊とぐるりと伽藍を散策。
さらに、前田家・織田家の石廟も見学。
(向かって右から前田利長・前田利家・織田信長・側室正覚院・織田信忠の順)
境内は、広くて静寂な場所ですが、中高年の5-6名のグループが大きな声で境内に響いていました。
また、総門付近には二人組の東南アジア系・外国人が着物を着ながら変なポーズで写真を撮りあったり、修学旅行生の5-6名のグループ数組など、頻繁に参拝者が来ていました。
参拝後、最初に預けた御朱印帳を拝授。
立派な寺院の次は、駅方向に戻り、高岡開祖 前田利長公を祀る高岡關野神社へ向かいました。
ずいりゅうじ
基本情報
<瑞龍寺の歴史>
曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩2代藩主前田利長公の菩提をとむらうため三代藩主利常によって建立された寺である。利長は高岡に築城し、この地で亡くなった。加賀百万石を譲られた義弟利常は深くその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。
造営は正保年間から利長公の五十回忌の寛文三年(1663)までの約二十年の歳月を要した。当時、寺域は三万六千坪、周囲に壕をめぐらし、まさに城郭の姿を想わせるものがあった。
平成9年12月3日、山門、仏殿、法堂が国宝に指定された。また、総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂が国の重要文化財に指定されており、江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されている。
(公式サイトより)
曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩2代藩主前田利長公の菩提をとむらうため三代藩主利常によって建立された寺である。利長は高岡に築城し、この地で亡くなった。加賀百万石を譲られた義弟利常は深くその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。
造営は正保年間から利長公の五十回忌の寛文三年(1663)までの約二十年の歳月を要した。当時、寺域は三万六千坪、周囲に壕をめぐらし、まさに城郭の姿を想わせるものがあった。
平成9年12月3日、山門、仏殿、法堂が国宝に指定された。また、総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂が国の重要文化財に指定されており、江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されている。
(公式サイトより)
🐾 あしあと 🐾
高岡駅から新高岡方面の道を10分程歩くと、加賀藩2代藩主前田利長公の菩提をとむらうため三代藩主利常によって建立された寺「高岡山 瑞龍寺」があります。
総門手前の受付で拝観料500円を払い、さらにここで御朱印帳を預けて拝観します。
今回は、3種類(各300円)の御朱印をお願いして境内へ向かいます。
国宝の山門・仏殿・法堂と参拝し、重要文化財の南西回廊、北回廊(大庫裏と鐘楼付属)、南東回廊とぐるりと伽藍を散策。
さらに、前田家・織田家の石廟も見学。
(向かって右から前田利長・前田利家・織田信長・側室正覚院・織田信忠の順)
境内は、広くて静寂な場所ですが、中高年の5-6名のグループが大きな声で境内に響いていました。
また、総門付近には二人組の東南アジア系・外国人が着物を着ながら変なポーズで写真を撮りあったり、修学旅行生の5-6名のグループ数組など、頻繁に参拝者が来ていました。
参拝後、最初に預けた御朱印帳を拝授。
<三種類の御朱印>(各300円)
◆御本尊朱印
釈迦如来様の毛筆と本尊上の天蓋中に飛翔している天女が青色で押印。
◆烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)
禅宗において「東司」にお祀りする守護神。
瑞龍寺の烏枢沙摩明王は、不浄な振る舞いをした猪頭天を戒めている姿をしています。
(トイレの神様)
<真言>オンクロダノウオンジャクソワカ
◆韋駄天(いだてん)
禅宗では、食物の護法神として「厨房」にまつられるそうで、瑞龍寺では、大庫裏正面に祀られています。
韋駄天は中国渡来の黄檗系仏師、范道生の作といわれています。
仏教護持の守護神として祀られ、足が速いことから韋駄天走りの語源にもなっています。
立派な寺院の次は、駅方向に戻り、高岡開祖 前田利長公を祀る高岡關野神社へ向かいました。