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三光神社|大阪府

三光神社
さんこうじんじゃ
 

拝殿

 

基本情報
御朱印

御朱印

御朱印

参拝日:①2022年4月13日
    ②2024年1月13日
初穂料:①300円(直置)
    ②300円(書置)
授与所:社務所

<御由緒>
当神社は、大阪城東南の丘陵(上町台)真田山に鎮座し昔は姫山神社(大昔の姫の松原の遺称)と称したが、全国的には真田山の三光の名称の方がよく知られ今では三光神社となった。
創立は仁徳天皇から三代後人皇十八代反正天皇の御宇と言い伝えられ創建以後神職として奉仕された武内宿弥の末裔武川氏(八十六代)にして今に至ると言う。
(公式サイト 由緒・略歴より)

 

 🐾 あしあと 🐾  

地下鉄玉造駅からすぐにある三光神社
かつて大坂城の出丸である「真田丸」が置かれた所。

真田丸(さなだまる)
1614年(慶長19年)の大坂の陣(冬の陣)において、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城 平野口の南に構築した出城・曲輪(出丸)である。

境内には、真田信繁像があり、横には大坂城まで続く抜け穴を掘ったと言われる入口があります。

真田信繁像と抜け穴(奥)

 抜け穴は入ることは出来ませんが、外から内部が見えます。

抜け穴

抜け穴内部
この右側の階段を上がり、拝殿に参拝。

社務所(左)・拝殿(右)
参拝を終え、社務所御朱印を拝受。

境内には、末社があります。
拝殿右の階段を下りた場所ですが、こちらまで行かれる方は殆ど居ません。

末社

末 社    仁徳天皇社 武内宿弥社 野見宿弥社 主守稲荷社
末社祭記    仁徳天皇
餌差町円珠庵仁徳天皇の社あり当時西の方地形低く真田山に遷し奉る。
武内宿弥社
武内宿弥の末裔たる武川氏が三光宮の創建以後神職として奉仕し長寿の神として祭る。宿弥 は景行、成務、仲衷、応神仁徳の五朝に歴任し二百四十四年も官に在り我が国最初の大臣と  なり日本で一番長寿された神で七福神の寿老神として祭られ戦前は浪速七福神巡りのバスを  運転した程です。
野見宿弥社
安政六年七月天満砂原屋敷の相撲場に勧請しその後同相撲場の難波新地六番町に移ると共に移され同所にあったのを明治十九年三月二日当社境内に移転す。宿弥は垂仁天皇の御 代に当麻邑に蹶速という大力で知られた力士と力兢べをし一撃で蹶速の脇骨と腰骨を折り天  下第一の力士となった(角力の神)当時高貴な方がなくなるとその近臣も共に埋める風習があ  ったのを土人形を造り人間の代わりにすることを考えた(埴輪の起こり)
主守稲荷社
加賀宰相候の陣屋が此辺にあり宰相山と言う此丘は狐の穴が多く本社の側に稲荷社を祭る(五穀をはじめすべての食物を司る神)
(公式サイトより)


<2024年1月13日 再訪②>
この日は、大阪Metro主催のウォーキングで大阪七福神のスタートの神社。
参加者1,100名で、拝殿下の階段まで参拝者が並ぶ状況。
過去に数回参拝しており、参拝後大阪七福神御朱印を拝受。

境内にある大阪七福神めぐりの案内板②
境内には真田の家紋「六文銭」の絵馬が飾られていました。

真田の家紋「六文銭」の絵馬

2024年再訪時の絵馬②

■大阪七福神

大阪や摂津のことを年代ごとに記した「摂陽奇観」の記録(1803年)に当時大阪の商人の間で行われていた七福神巡りについての記載が残されています。
一旦途絶えましたが、1914年(大正3年)に復興。
次の7寺社が「大阪七福神」巡りです。
恵比須 ⇒ 今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)
大黒天 ⇒ 敷津松之宮大国主神社(しきつまつのみや・おおくにぬしじんじゃ)
毘沙門天 ⇒ 宝満寺・大乗坊(ほうまんじ・だいじょうぼう)
弁財天 ⇒ 法案寺(ほうえんじ)
福禄寿 ⇒ 大圓山長久寺(だいえんざんちょうきゅうじ)
寿老人 ⇒ 三光神社(さんこうじんじゃ)
布袋尊 ⇒ 四天王寺(してんのうじ)

各寺社で、御朱印(300円)が頂け、七福神巡りの色紙(1,500円)への記帳も可能です。

三光神社

三光神社


Control number:
 G27_三光神社_OTG020_20220413
 G27_三光神社_KSG038_20240113
Create:2024.01.17

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